「死生観を問い直す」広井良典 (ちくま新書)

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広井良典氏は、これまで「これからのコミュニティのあり方」に関する提言などを読んで、とても興味深い議論を展開していたので、この「死生観」に関する本も読んでみた。やや抽象的な「時間」に関する記述が多く、「死生観を問い直す」までの議論が深まっているようには思えなかった。

物質的な富の拡大、死を背景に退けさせ、死生観そのものが「空洞化」している現代、まさに「死生観の構築」が求められていると著者は指摘する。

キリスト教的な時間観は、世界ないし宇宙には「始まりと終わり」があり、「絶対的な救済」、あるいは神の国の実現といった、この世界全体の「究極の目的」に向けた歩みであり、世界ないし宇宙の歴史は明確な「意味」をもったものとして、理解される。宇宙の歴史の全体が一つのストーリーをもった「物語」となる。<終末論的モデル>

「価値の源泉」は、絶対的な救済である終末にあり、それを光源として(またイエスというメッセンジャーを通して)「現在」あるいは「今、ここの生」も価値を得る。「存在の負荷性」(私たちの生がマイナスの価値を帯びていること)が「未来からの光」によって、再び新しい価値を与えられる。

それに対して、<直線的な時間モデルー近代的な時間観>は、宇宙や世界に「始まり」も「終わり」もなく、直線的な時間そのものが独立している。そして、世界や宇宙はそれ自体「意味」を持たない。

しかし、ニュートンの時代に考えられていたように宇宙や世界は未来永劫変らない存在ではなく、それ自体が歴史をもった変化していくものと現代の宇宙論では考えられている。

「時間は一元的なものではなく、時間には“層”がある」という考えをとると、「永遠」というのは、時間と別に存在するのではなくて、いまこうして流れている時間の一瞬一瞬の、いわば根底に常に存在しているようなもの――ちょうど、表面の速い水の流れの底の奥深くにある海流の層が、ほとんど動かないように――と考えられる。<円環的/重層的時間モデル>

<現在充足性>――人生のどのような喜びや悲しみも、快も苦も、最終的には「現在」に帰ってくる。あらゆる価値の源泉が究極的に「現在(いま、ここ)」にある。時間とは、根源的な現在からの派生物であり、仏教は「内在」という方向に突き抜けることを目指すから、時間や現在が生まれ出る前の次元、というべき場所を目指す。端的に言えば、「現在の底にある永遠(=無・時間性、超・時間性)」を目指す。円環的/重層的な時間のイメージとなる。

<未来志向性>――いかに「現在」が苦難に満ちたものであっても、「未来」に希望を持ち、希望する存在が「人間」である。キリスト教は「苦難を通じての救済」というモチーフが中心にあり、「超越」という方向に突き抜けることを目指す。「未来の果てにある永遠(=無・時間性、超・時間性)」を目指す。

キリスト教も仏教も、この世界の「時間」を超えた次元を目指し、またはそれを確かめることを通じてこの世界に価値を見い出す、という意味では共通している。「永遠」を位置づける場所が違う。「現在の底にある永遠」か「未来の果てにある永遠」か。

著者は「現在充足性」と「未来志向性」、あるいは「内在」と「超越」という両方が必要なのだと書く。キリスト教と仏教の時間観は、内容的には互いに対立しつつも、人間あるいは個人にとっては両立ないし共存可能なものである。キリスト教と仏教は、一人の人間にとって「二者択一」の関係にあるのではなく、補完的な関係にあるのではないか、と。

永遠、死とはなにか。著者は「たましいが帰っていく場所」と呼ぶ。時間を超え出た世界。「死とは(永遠とは)有でも無でもない何ものかである」。「生が有であり、死が無である」のではなく、生は「相対的な有」と「相対的な無」が入り混じった時間のある世界であり、死とは絶対的な無=絶対的な有=永遠の世界である、というのが著者の結論になるという。

生と死に断絶があるのではなく、生者と死者がともに属する場所に「たましいが帰っていく場所」があり、それが回帰する「自然」の世界か、転変してやまない「輪廻」の世界か、より理念的な「永遠」の世界か、その人の育った環境や文化や信仰によって違ってくる。生者と死者の時間は連続しているのであり、「生者と死者の共同体」ということの意味を問い直す必要があると著者は書く。
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「戦後入門」加藤典洋 (ちくま新書)

加藤典洋の自らの著書『敗戦後論』を受けて書いたこの『戦後入門』は、「戦後の国際秩序にフィットした・そして持続可能(サスティナブル)な・「ねじれ」をうまく生き抜く・「誇りある国づくり」こそが、大切だ。」ということを書いたつもりだと「あとがき」で著者自らが吐露している。

「戦前と戦後は断絶している。そのことを残念に思うこころが、「ねじれ」を作る。私たちは、その「ねじれ」をうまく生き抜く技法、作法を身につけるべきだ」と加藤は書く。戦後の日本人は、戦争の死者たちを、その考え方において、裏切った。連合国といと元の敵の価値観に転向した。それで戦前の価値観に殉じた戦争の死者たちを、うまく弔うことができない、どう弔えばいいのかわからいようになった。戦前の価値観を否定し、占領軍に押し付けられた平和憲法を、どう自分たちのものとして選び直すことが出来るか。経済発展の名のもとに隠蔽された対米従属。失われた主権。経済発展がこれ以上望めなくなった今の日本は、「経済」で「誇り」を見い出すことが出来なくなった。メッキが剥げて、対米従属が表に現れてくるようになった。ならば、どうやって対米自立を獲得できるのか。そのための方法論とは?

その糸口を加藤は、憲法9条の戦争放棄規定の成り立ちにあると考える。1946年1月、国際連合は産声を上げたばかりで、国連に国際警察軍的な機能をどう与えるか、世界を破滅させかねない核=原子力の管理をどうすべきかが議論されていた。憲法9条と、国連原子力委員会と、国連安全保障理事会のもとでの軍事参謀委員会とは、同時期に同じ第二次世界大戦の終結時の「夢」から生まれた、互いに他を支え合う、双生児ないし三つ子的な存在だった。

対米自立の鍵とは、一国的平和主義でも、「戦前と戦後のつながり」を復活させるようなナショナリズムに立脚するのでもなく、国際主義インターナショナリズムに徹することにある。米国と敵対関係に入ることなしに米国から独立し、平等な友好関係を維持しながら、中国、韓国、ロシアとも健全な信頼関係を築き、持続可能な経済的安定と安全保障を目指すには、憲法9条とインターナショナリズムに鍵があると加藤は主張する。

この本を書くにあたり大きく影響を受けたのは、英国の社会学者で知日派でもあるロナルド・ドーアであり、東西冷戦直後に書かれた著書『こうしよう」と言える日本』で、「外交の目的の一つは国民に「誇り」の気持ちを与えることで、その「誇り」とは、ああ、この国に生れて良かったなと思えることだ」、とドーアは書いている。そして、「なぜに日本は世界のことを考えないのか」と。国際連合の初期理想の追求の営為とともに生まれた憲法9条を持つ日本は、国連改革の中心的存在となって世界に貢献すべきである。「日本人たちよ、もっと本腰を入れて悲惨のうちにある世界の人々と連帯せよ」と主張する。

核兵器の管理についても、ドーアは「核不拡散」による核国際管理ならぬ「核拡散」による核国際管理を提案する。現行の大国中心の「核の傘」システムと核兵器管理「NPT」システムに代えて、これを一本化し、一定の条件のもとで、どの国も核兵器国になれるが、求められればいずれの国にも「核の傘」をさしのべなければならず、他方、どの国もが非核保有国になっても、いずれの国にも「核の傘」提供を要請でき、各国平等の双方向システムを創設しようというのだ。やや理想主義的な夢物語にも聞こえるが、核を無くすことも、減らせることもできない以上、こういう考え方も一つの方法論だろう。

また米軍基地の撤去問題に関しては、矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という本を引き合いに出している。鳩山民主党政権が、沖縄米軍基地を「最低でも県外に」と、対米自立を目指した自主外交、東アジア共同体志向を目指すや否や、あっさりと対米従属体制に逆らうものとして排除されたことは記憶に新しい。矢部は、憲法を改正することで、米軍基地を撤去させたモデルを、フィリピンの先行事例に見る。フィリピンの19世紀以来の植民地支配への抵抗という反米機運の高まりがあったとはいえ、自国の憲法を改正し、基地撤廃条項を書き込むことで、米軍基地を撤廃させ、新たな軍事基地協定を締結させた。その後、フィリピンは98年、中国との間に南シナ海海域への領有権問題が発生し、訪問米軍との地位協定を結んだが、これまでの不平等条約とは明らかに違う国と国との対等な地位協定になったという。

加藤は、憲法9条を改定し、「国内に外国基地をおこないこと」を明記し、「陸海空軍は、国土防衛隊に編成し、国境に悪意を持って侵入するものに対する防衛の用にあて、残りの全戦力は、国際連合待機軍として、国連の平和維持活動及び国連憲章第47条による国連の直接指揮下における平和回復運動への参加以外には、戦力を発動しない。国の交戦権は、これを国連に移譲する。」と九条改定私案を提起している。

非武装中立やら絶対的平和主義のような現実性のない理想論しか左翼側から聞こえてこなかった中にあって、加藤典洋は、親米ナショナリズムでも、復古的ナショナリズムでもなく、「国連中心主義」に基づくインターナショナルな方向での対米自立、憲法9条改定による平和精神維持を提案する。国連による世界平和を守る軍隊など成立するのだろうか。グローバリズムの反動で、一国主義が台頭する中、そんな国際協調など実現できるのだろうか。これもまた、理想論でしかないような気がするが、対米従属と憲法9条の平和主義、安保法制や自衛隊と米軍基地のジレンマを抜け出すには、こういう具体的な議論が必要な時代に入ったというべきだろう。

時は、トランプ政権のもと、「アメリカ第一主義」を突き進むアメリカ。日本は今後どうアメリカと向き合っていくべきなのか。日本の主権回復はいつ成し遂げられるのだろうか。アメリカとの対等な関係を築ける日は来るのだろうか。米軍基地の不平等な地位協定や「核の傘」という防衛問題とともに、憲法問題は具体的に議論していかなくてはならない時代に突入した。

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「職業としての小説家」村上春樹 (新潮文庫)

村上春樹が小説家になったキッカケ、何を書けばいいのか?文学賞について。オリジナリティーとは?長編小説を書くこととは?フィジカルの大切さ。誰のために書くのか?海外へ出ていった理由などなど、かなり真面目に丁寧に小説家としての自分を見つめて書いている。

どんな人間が小説家に向いているかという話の中で、「あれはこうだよ」と簡単に結論を出すような人は小説家向きではなく、評論家やジャーナリストに向いていると書く。小説家に向いている人は、「あれはこうだよ」と結論が頭の中で出たとしても、「いやいや、ちょっと待て。ひょっとしたらそれはこっちの勝手な思い込みかもしれない」と、立ち止まって考え直す人。そして、自分もまた「早急に結論を出さずに、幾度となく繰り返し考える人」であると分析する。「小説家を志す人のやるべきは、素早く結論を取りだすことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積すること」だそうだ。

確かに村上春樹は何度も推敲を重ねるようだ。一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚検討で原稿を書き、それを規則的に繰り返し、第一稿を書き終えると、一週間ぐらい休み、それから最初の書き直しを始める。その書き直しに一ヶ月か二ヶ月月を費やし、また一週間ほど間をおいて、二回目の書き直しをする。さらに半月か一か月、作品を抽斗にしまい込んで、忘れるようにして旅行したり、翻訳の仕事をしたりする。作品を「寝かせる」のだそうだ。そして、そのあとで、まず奥さんに原稿を読ませ、意見を聞く。その「第三者の導入」を受けて、「ケチをつけられた部分があれば、何はともあれ書き直す」。方向性はともかく、書き直す。そこには何かしらの問題点が含まれているはずだと考える。そしてさらに編集者に読んでもらい、その反応に対しても、指摘のあったところはやはり書き直すそうだ。その書き直しに出来るだけ時間をかけ、根気のいる作業を繰り返す。そのようにして時間をかけて、その時点ではこれ以上のものは書けないというほどエネルギーを惜しみなく投入して、長編を書きあげるのだそうだ。だから、その小説を批判されても、その時点ではそれがベストだったと思い、「やるべきことはやった」と思えるのだという。「時間があればもっと良いものが書けたはずだ」ということは絶対ないそうだ。

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を書こうとしたとき、「これはもう、何も書くことがないということを書くしかないんじゃないか」と痛感したそうだ。「何も書くことがない」ことを武器にして、小説を書き進めていくこと。とにかくありあわせのもので、物語をつくっていくこと。そのために新しい言葉と文体が必要だった。

戦争とか革命とか飢えとか、そういう重い問題を扱わない(扱えない)となると、必然的により軽いマテリアルを扱うことになりますし、そのためには軽量ではあっても俊敏で機動力のあるヴィークルがどうしても必要になります。(略) ここで僕が心がけたことは、まず「説明をしない」ということでした。それよりはいろんな断片的なエピソードやイメージや光景や言葉を、小説という容れ物の中にどんどん放り込んで、それを立体的に組み合わせていく。(略) そういう作業を進めるにあたっては音楽が何よりも役に立ちました。ちょうど音楽を演奏するような要領で、僕は文章を作っていきました。


村上春樹の原点がここにある。「書くべきものを持ち合わせていない」というのは、言い換えれば「何だって自由に書ける」ということ。最初から重いマテリアルを手にして出発した作家たちは、ある時点で「重さ負け」をしてしまう傾向がある。戦争のようなダイナミックな経験を持たない人でも小説は書ける。小さな経験からだって、やりようによってはびっくりするほどの力を引き出すことができるのだと村上は書く。

小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです。大きな物語を語ろうとすればするほど、作家はより深いところまで下りていかなくてはなりません。(略) 作家のその地下の暗闇の中から自分に必要なもの――つまり小説にとって必要な養分です――を見つけ、それを手に意識の上部領域に戻ってきます。そしてそれを文章という、かたちと意味を持つものに転換していきます。その暗闇の中には、ときには危険なものごとが満ちています。そこに生息するものは往々にして、様々な形象をとって人を惑わせようとします。また道標もなく地図もありません。迷路のようになっている個所もあります。地下の洞窟を同じです。(略) そのような深い闇の力に対抗するには、そして様々な危険と日常的に向き合うためには、どうしてもフィジカルな強さが必要となります。


フィジカルな力とスピリチュアルな力は、車の両輪であり、そのバランスを両立させること。そして彼は、毎日の規則正しい生活と、定時的な執筆活動、さらに毎日のランニングでフィジカルを鍛える。

さらに日本での様々な批判や雑音を逃れて、海外で出て行って小説を書くようになり、海外で認められるよう努力した。日本での理不尽な批判のこと、その時いろいろ思ったことなども率直に書いている。「自分が楽しむために書く」という彼の原点と、つねに「もっとよいものを書きたい」という発展途上にある彼の姿勢なども興味深い。

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「日本会議の正体」青木理 (平凡社新書)

ジャーナリストの青木理が現閣僚も多く関わっている右派組織「日本会議」の正体について、取材して解き明かそうとしたもの。読んでみたが、それほど核心に触れる面白い何かが書かれているわけではない。改めて歴史的な経緯などが紹介されている程度で、とりたてて面白くもない。
以下、メモとして日本会議の成り立ちを書いておく。

日本会議は1997年、右派団体「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合流する形で成立。
「日本を守る国民会議」は、「元号法制化運動」などに取り組んだ団体の発展する形で1981年成立。宇野精一、清水幾太郎、小堀桂一郎、江藤淳、香山健一、村松剛、加藤英明、村尾史郎、瀬島龍三(伊藤忠)、井深大(ソニー)、石井公一郎(ブリヂストンサイクル)、塚本幸一(ワコール)、百地章、大原康男・・・などが参加。「日本を守る会」は、宗教右派組織。神道宗教の中心の明治神宮をはじめとした神社本庁を中心とした神道宗教団体と谷口雅春の巨大新興宗教・生長の家が中心。

日本会議の源流とは、谷口雅春が創始した生長の家や、1960年代の全共闘運動に対抗する学生組織、生学連(生長の家学生会全国総連合)に突き当たる。生学連(椛島有三ら)は、その運動手法を発展・進化させ、神社本庁や他の新興宗教団体の支援を受けつつ、運動組織を巨大化させていった。

基本運動方針は、①皇室の尊崇、②憲法の改正、③国防の充実、④愛国教育の推進、⑤伝統的家族観の重視
資金源は明らかにされていないが、資金豊富な神社本庁や明治神宮などの宗教団体がそれなりの形で支えている。

個別テーマごとにフロント団体
1、美しい日本の憲法をつくる国民の会・・・櫻井よしこ、田久保忠衛、三好達、幹事長・百地章
2、「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会・・・代表・櫻井よしこ、副代表・浅野一郎、中西輝政、西修、事務局長・百地章
3、明治の日推進協議会・・・会長・塚本三郎、高池勝彦
4、みんなで靖国神社に参拝する国民の会・・・小堀桂一郎
5、日本の建国を祝う会
6、平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム・・・櫻井よしこ、田久保忠衛、西修

生長の家が政治結社・生長の家政治連合(生政連)を結成して、政界進出したのが1964年。“生命の実相”にのっとり祖国救済、自主憲法制定、政界の浄化、優生保護法の改正、偏向教育の是正などをスローガンにしていた。しかし、1983年、方針転換し、政治との関わりを一切断つと宣言。人工中絶に反対する立場から優生保護法の改正の運動を展開していたが、医療団体や女性団体の反発を受けて、自民党が法案を見送ったことに失望。比例区導入とともに名簿順位などで自民党との間に溝が広がり決裂。現在の第3代総裁・谷口雅宣は、現実政治への影響力を行使せず「エコロジー」に力を入れ、環境左派的であり、安倍政権に批判的ですらある。

日本会議という巨大な右派団体を作り、育て上げた中枢や周辺には、全共闘運動華やかりし頃に右派の学生運動を組織した生長の家の信者たちがいたことは事実。谷口雅春の政治的な教え、極右的超復古主義、エスノセントリズム=自民族中心主義を信望し続けた「宗教心」がベースにある。そんな者たちは、おおむね極めて真面目で、富や名声を求めず、組織の拡大と意地に尽力。インテリが信者に多く、勉強熱心である。

青木理は、日本会議の正体を、戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものと表現。少数なら問題ないが、その数が増えて身体全体に広がり始めると重大な病を発症して死に至ると締めくくっている。

陰謀論が好きな人たちは、「日本会議」が安倍政権を裏で牛耳っている秘密結社、フリーメーソンのように表現する人たちもいるが、この本を読んでみる限り、それほどの影響力があるとは思えない。右派組織の巨大結集体であるから、「憲法改正」「愛国教育」「家族観」など思想的バックボーンにはなっているだろうが、日本会議に所属している右派議員の立場もそれぞれであり、ひとつにまとまっているわけではなさそうだ。全共闘運動が盛んだった頃の反共意識からまとまった右派組織だが、左翼が衰退するとともに右派組織も様々な考え方、立場の人たちがおり、現憲法に対する考え方も一つではない。

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「脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克」中野剛志、中野信子、適菜収(文春新書)

先日読んだ『感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか』(堀内進之介)と話がつながっている。経済産業省の官僚でありながら、反TPP論者として有名な中野剛志、ニーチェ研究、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』などの著書もある適菜収という二人の反安倍の保守論客と今ひっぱりだこの脳科学者、中野信子の言いっ放し鼎談。近代的人間観がいかに日本をダメにしたか、ニセ右翼とダメ左翼の戦後をめった切り。戦争、近代、経済、グローバリズム、共同体・・・、脳科学の知見も踏まえ、話は縦横無尽に展開される。やや乱暴な議論も多いが、近代合理主義の限界、グローバリズムの終焉と自由と共同体の関係、感情の動員とも通じるが、快楽物質オキシトシンの分泌による集団の内社会性の向上と攻撃的排他性、争い続けることをやめない人間の習性、共同体と個人のあり方など共感できるところもあり、近代を考え直す意味で示唆的な鼎談だ。

われわれがいかに近代的価値観のもとで思考停止に陥っているか。そんな近代的人間観を捨てよ!と3人は言う。脳科学的データから中野信子が、女性が不安がるのは脳内物質のセロトニン合成能力が男性よりも少ないからと説明。「快楽ホルモン」と呼ばれるドーパミンはヨーロッパ人に比べて日本人は少ないとか。だから、日本人や東アジア人は律儀に所与のルールに引きずられる傾向があるのに比べて、ヨーロッパ人は自分のルールを勝手に作り出す。日本人の外交下手もそんな要因があるのかも。ヨーロッパ人は繰り返される戦争や疫病で、既存のルールを破ってでも臨機応変に生き残る環境圧力があったからではないか、と推理。

以下、各章ごとのメモ

<第一章 ナショナリズム-なぜ快楽なのか>
適菜:近年、「ナショナリズム=保守」といった固定感は誤りであり、前近代的共同体を破壊したのが近代であり、その延長線上にナショナリズムがある。近代国家を支えているの理念は「国民主権」。その根本はキリスト教の「神の前の平等」に由来。それが建前であり、本音では、伝統や神話が国民統合の大きな力になっている。
信子:人間は自分で意思決定するのを嫌がる生物。自由に決める行為には心理的負担が伴う。自由は脳を不快にしている。
適菜:選択肢の多さは幸福度を下げると、心理学者バリー・シュワルツも指摘している。
信子:ナショナリズムとは、多様な価値観を強引に共存させる枠組み。お互いに寛容の心を持って共存していくリベラリズムは、ネイションの枠組みを必要とする。

剛志:日本人は「ケア」」を重視する。それは日本特有にものではなく、西洋人でも女性には昔からある。ケアの価値観が保守だとすると、近代の極端な理性尊重、原理重視を保守は嫌がる。
信子:セロトニンが少ない日本人は、不安が強くて慎重な人の方が遺伝子を残しやすかった。アメリカのような移民の多いところでは、セロトニンが多く、リスクを取って新境地に挑んだ方が遺伝子を残しやすかった。

剛志:ウェーバーは近代化するにつれて宗教の力は衰え世俗化していくと言ったが、デュルケームは、そもそも社会は聖的なものがなければ成り立たない、あらゆる社会は聖的なものが根底にあると考えた。
信子:聖的なものを破壊して理性だけでコントロールしようとしても、その社会は壊れるだけ。
適菜:ニーチェは『アンチクリスト』のなかで、統合原理としての神は先祖に対する畏敬の念、自然への恐怖、農耕に対する感謝といった民族のあらゆる感情を投影したもの。しかし、ある種の宗教(キリスト教)は、こうした複雑な神を一面的な「正義の神」にしてしまったと指摘。
剛志:より一神教的要素の強いプロテスタント、宗教原理主義は近代合理主義と非常に相性がいい。原理原則から導かれたものを信じること。
信子:宗教が戦争を引き起こし、戦争から合理性が追求された。
適菜:戦争が平等化を進め、近代を生み出した。近代啓蒙思想、合理主義が絶対視されるようになり、フランス革命で理性が神の座に祀り上げられた。

<第二章 国家と体制-なぜ自由は苦痛なのか>
剛志:戦後の日本は「個の自立」と言われ、「日本人はまだ個が自立していない」と言われ続けた。そもそも人間は個が自立していない生物。
信子:「個」というのが、そもそも科学の目から見た幻想かもしれないのに。
剛志:人間は自由ではありえない。周囲の何物かに束縛されている。
適菜:そもそもアイデンティティとは環境との関係性。環境から切り離せば気が狂うのは当たり前。アメリカでは極端なかたちで自由主義が暴走し、個人主義が暴走する。わが国の自称保守もそんな自由主義を礼賛している。
剛志:「国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」と安倍総理は言った。ハンナ・アレントも資本主義の暴走が国民国家の解体につながると指摘している。

剛志:スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガゼットは「私とは、私とその環境である」と言った。人間は環境と切り離せない。なぜ日本ではナショナリズム=悪とする言葉が強いのかというと、日本は欧米に遅れて近代化をし、その挙句に戦争に負けたものだから、それが負い目となり、前近代的な共同体に束縛されることをよしとしない傾向が強くなった。丸山眞男の『超国家主義の論理と心理』のせいで、「封建社会の遺制が日本に残っていたことから、日本には近代的な自由な主体という意識が発達せず、そのために非合理的な戦争に突き進んでしまった」という主旨のことを言った。実は逆で、前近代的な共同体が崩壊したからこそ戦争の道に突き進んでしまったのに。
信子:「非合理的な戦争」という発想が間違い。合理的な解決手段だから、人間は戦争を選択した歴史があった。

信子:人間の知能も暴走進化のひとつ。知能が高い個体ほど繁殖しない。人間は知能の高い方に進化してしまっているので、これから元に戻れというのは難しい。苦し紛れに私が言うのは、ヤンキーに未来を託すか、人工授精とか人工子宮とか、技術的に解決する以外ない。

<第3章 ポピュリズム-なぜバカははびこるのか>
信子:なぜ賢い人たちがバカげた政治(橋本徹のような)を支持するのか?
剛志:僕の仮説は、賢い人は、勝ち負けを冷徹に計算できる。どちらの馬に乗ったほうが有利かと、その立派な頭をその計算のために使う。自分の保身のために賢さを使えば、強い方の支持の側になる。知性があるからこそ、同調圧力に屈してしまう。反対しても無駄だと計算してしまう。

剛志:集団に帰属しているからといって、個人主義とは反しない。逆に、共同体から切り離された個のほうは、人間の性向として集団に行かざるを得ないので、集団を求めて大衆煽動やマスメディアに流されたりしてしまう。これがポピュリズムの正体。
適菜:前近代の拘束から逃れたと思い込んでいる個というものは、実は多数者の絶対的な力に隷属するようになっただけ。その流れを推進するのがポピュリズム。
信子:現代の不安は、脳科学によって自分を枠にはめて欲しい。自分がこういう人間だということを確かに決めてもらい、知ってもらい、認めて欲しい。それを権威ある誰かに受容してほしい。承認欲求の一つの形です。興味があるのは自分のことだけ。
剛志:本来ならば、人間のそうした欲求を満たす「場」が機能すべき。たとえば家族とか、社会とか、学校とか。地域共同体とか。

適菜:「虫の知らせ」といった重要なものを迷信だと切り捨てたのが近代。マイケル・ポランニ―は、「虫の知らせ」といったものこそ認識や「知」そのものを支えていると言った。
信子:倫理的に正しい行動を「美しい」と言ったり、自分勝手な行動を「醜い」と言ったりする。美醜と正邪を判断しているのは、脳の同じ領域の反応。

剛志:人間は、自分で自分を欺瞞する能力は極めて優れている。自己欺瞞の能力は無限大。
信子:知性は、短期的に稼いで、人との争いに勝って、何十年かの人生をうまくやるという意味では役に立つが、何百年単位のスパンで人類の歴史を見たときに、知性はまったく役に立たない。
適菜:自分の無知と理性の限界に気づくのが「賢い人」ですね。

<第4章 暴力-なぜ人間は戦争をやめられないのか>
剛志:近代的・合理主義的経営の起源は戦争。軍隊に発する近代合理主義は民間にも応用され、総力戦とともに多くの人間が動員され、平等のメカニズムも発生し、能力主義も生まれた。
信子:ルソーに限らず、左翼的な人たちはルサンチマンの昇華に苦しんでいる。権威あるものを叩くことによって心的葛藤を解消しようとするプロセスが、政治的な運動に表れているような気がする。
適菜:近代啓蒙思想の背後にはルサンチマンがある。前近代に「悪」のレッテルを貼り、理想社会を目指すという進歩史観。
剛志:トマ・ピケティによれば、ベルエポックの時代、フランスは上位1%の金持ちが60%の資産を所有していた。その格差は二度の大戦や世界恐慌で縮小した。戦費調達のために富裕層は累進課税で増税された。そして、一般市民を兵隊として雇う代わりに福祉と医療保険制度が拡充された。戦争のおかげで福祉国家が出来上がっていった。しかし、冷戦の終結と核兵器の登場によって戦争がしにくくなった。その結果、格差再拡大の時代になった。だからといって、戦争が必要だとは思わないが・・・。

剛志:個別的自衛権の強化が喫緊の課題。アメリカは世界の警察官ではなくなった。
信子:「幸せホルモン」とよばれるオキシトシン、個人と個人ではオキシトシンが分泌されると愛着形成が行われる。しかし集団という単位では、「妬み」の感情を強め、排他的振る舞いを昂進させる。「内社会性」、「内集団バイアス」が強まる。誰かを攻撃することで、快感が得られ、仲間に承認してもらえる。「泥棒洞窟実験」という有名な実験で、集団でいることでオキシトシンの濃度は高まり、二つの集団を融和させるには「共通の難題」が必要だった。集団になると戦争が始まるプロセスの原型。

適菜:人間は集団で生きるのが進化の上で適応的だったが、集団になれば戦争を引き起こす。いずれにせよ、個と集団は切り離せない。現在の共同体が崩壊してバラバラの個になるのは、きわめて危険な状態。
剛志:近代は近代で、もう一度共同体をつくり直すしかない。「ゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)へ」と社会の進化論なるものを真に受けて、堺屋太一はゲマインシャフト化する会社はダメになると言ったが、ゲマインシャフト化する会社こそが、パーフォーマンスのいい会社。
信子:ネット社会が受けるのもリアルな共同体が崩壊して、個がバラバラになったから。
剛志:しかしネットのコミュニケーションはすぐ荒れる。人間は顔を突き合わせて、時間をかけて、長く付き合って相手を知らないと、相手のことは認識できない。

<おわりに-近代を超えられるか>
剛志:イラク戦争は普遍的な価値観を掲げるアメリカの秩序が終わった日、リーマン・ショックは経済のグローバル化が終わった日。安倍は湾岸戦争時に日本は「金を出したけど一滴も血を流さない」と言われた頃の非難の記憶を引きずっている。アメリカ自身も世界戦略の転換に踏み切り、世界の警察官の役目を下りたのに、親米保守たちはそれに気づいていない。


本書で3人は、悪しき平等主義や原理原則から導かれる合理主義で近代人は思考停止に陥っていると指摘。近代で共同体は破壊され、個はバラバラになり、格差とポピュリズムが社会に蔓延している。集団との争いや攻撃性や排他性のうちにオキシトシンという快楽物質を分泌してしまう人間にあって、集団(共同体)を維持・運営していくには、聖的なるもの、権威や慣習といった論理では説明しきれないもの、「暗黙知」のような人間の言葉では置き換えることのできないものの大切さを訴える。

適菜:理性や合理というものだけでは人間は成り立たないと感知するのが保守であり、逆に人間という存在からその根幹を支えているものを切り離し、学問的モデルとして生み出されたのが「近代人」ということ。
剛志:人間は結局はわかりあえない。しかしながら共存しなければならないから、共通の記号を用いて一応わかりあったことにしている。「歯の痛みは他人にはわからない」、このように孤独な自我を強烈に意識するのは、西欧には個人主義の伝統があるから。だからこそ彼らは共同体とかシンボルとか権威といった、近代では否定されがちなものの重要性が痛いほどよくわかっている。「自分のことは、歯の痛みのように、他人には本当にわかってもらえないんだ」という人間の根源的な恐ろしさを知らない甘ったれた日本人ほど、安易に「個の自立」だの「近代的な自我の確立」だと口走り、共同体を破壊するのだ。

テーマ : ブックレビュー
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

Author:Yasuo K  ( ヒデヨシ)
札幌でテレビの仕事をしている
オヤジです。
映画にまつわる雑文です。
2006年からの映画レビュー。
それから、本の感想を少し。


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映画ベスト10 2009~2016年
2016年ベスト10
<洋画>
    ダゲレオタイプの女
    マイ・ファニー・レディ
    キャロル
    シング・ストリート 未来へのうた
    リザとキツネと恋する死者たち
    グッバイ・サマー
    サウルの息子
    マジカル・ガール
    ブリッジ・オブ・スパイ
    手紙は憶えている
<日本映画>
    淵に立つ
    クリーピー 偽りの隣人
    海よりもまだ深く
    ふきげんな過去
    SCOOP!
    永い言い訳
    オーバー・フェンス
    ディストラクション・ベイビーズ
    葛城事件
    湯を沸かすほどに熱い愛
    次点この世界の片隅に


2015年ベスト10
<洋画>
    やさしい女
    さよなら人類
    さらば、愛の言葉よ
    毛皮にヴィーナス
    雪の轍
    愛して飲んで歌って
    サンドラの週末
    サイの季節
    インヒアレント・ヴァイス
    ソニはご機嫌ななめ

<日本映画>
    海街dairy
    岸辺の旅
    FOUJITA
    百円の恋
    この国の空


2014年ベスト10
<洋画>
    エレニの帰郷
    グランド・ブタペスト・ホテル
    罪の手ざわり
    ウルフ・オブ・ウォールストリート
    ジャージー・ボーイズ
    インサイド・ルーウィン・デイヴィス
    6才のボクが、大人になるまで。
    フランシス・ハ
    ウォールフラワー
    ある過去の行方

    <日本映画>
    そこのみにて光輝く
    ニシノユキヒコの恋と冒険
    紙の月
    Sventh Code
    私の男


      2013年映画ベスト5
<洋画>
    1、「愛、アムール」
    2、「ホーリー・モーターズ」
    3、「オンリー・ラバーズ・レフト・アライブ」
    4、「いとしきエブリデイ」
    5、「ムーンライズ・キングダム」
    ※番外「カリフォルニア・ドールズ」(1981年)

    <日本映画>
    1、「共喰い」
    2、「さよなら渓谷」
    3、「恋の渦」
    4、「リアル 完全なる首長竜の日」
    5、「Playback」(2012年)


    2012年映画ベスト10
<洋画>
    2、「少年と自転車」
    3、「Pina ピナ・バウシュ 躍り続けるいのち」
    4、「ライク・サムワン・イン・ラブ」
    5、「きっと ここが帰る場所」
    6、「ドライヴ」
    7、「風にそよぐ草」
    8、「恋のロンドン狂騒曲」
    9、「おとなのけんか」
    10、「別離」
    次点 「裏切りのサーカス」
番外
    「永遠の僕たち」
    「J・エドガー」
    「家族の庭」

    3、「演劇1&2」
    4、「夢売るふたり」
    5、「アウトレイジビヨンド」
    番外 「ヒミズ」


2011年映画ベスト10
    3,「ブルーバレンタイン」
    4,「愛する人」
    5,「クリスマス・ストーリー」
    6,「トゥルー・グリット」
    7,「SOMEWHERE」
    8,「さすらいの女神(ディーバ)たち」
    9,「エリックを探して」
    10,「シリアスマン」
    次点,「エッセンシャル・キリング」

    3,「あぜ道のダンディ」
    4,「マイ・バック・ページ」
    5,「冷たい熱帯魚」

    2010年映画ベスト10
    3、フローズン・リバー
    4、アンナと過ごした4日間(2008)
    5、Babble/バブル(2005)
    6、パリ20区、僕たちのクラス
    7、クレイジー・ハート
    8、ずっとあなたを愛してる
    9、千年の祈り
    10、シルビアのいる街で
    次点、闇の列車、光の旅

    3、川の底からこんにちは
    4、さんかく
    5、ノルウェイの森
    次点、乱暴と待機


2009年映画ベスト10
    3、リミッツ・オブ・コントロール
    4、あの日、欲望の大地で
    5、人生に乾杯!
    6、ウェディング・ベルを鳴らせ!
    7、チェンジリング
    8、ロルナの祈り
    9、レスラー
    10、夏時間の庭

<日本映画>
    1、ディア・ドクター
    2、空気人形
    3、ウルトラミラクルラブストーリー
    4、インスタント沼
    5、ノン子36歳(家事手伝い)
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