「別離」アスガー・ファルハディ

いやぁ、つかれた~。人の争いを見続けるのはこれほど疲れるものなのか…。特に我々日本人にとってはキツイ。なぜなら彼らは譲らないからだ。自己主張し続ける。相手を気持ちを思いやって譲り合うことをしない。ぶつかり続けるのだ。だから観ていて疲れてくる。映画の中の裁判官や判事も疲れるだろうが、争いを見続ける観客も疲れる。それでも、真実と嘘をめぐるそれぞれの家族の思いに目が離せなくなる。
この争いには、もちろんイランの宗教事情や社会的男女関係などが背景としてあり、それらの問題点を浮き彫りにしているのだけれど、人間そのものの問題でもある。人間は些細なことで言い争い、食い違うものなのだ。そのことをどうやって解決していけばいいのか、それは宗教や国や民族同士の争いでも同じことで、その争いをめぐる根源的な問いを含んでいる映画だ。
冒頭、家庭裁判所で、夫婦の離婚について夫と妻がそれぞれ言い立てる場面から始まる。カメラは裁判官の立場で、二人の言い争う主張を聞いている。ワンカットでそれを描きながら、二人がなぜ離婚しようとしているのかの状況説明がなされる。なかなか見事な滑り出しだ。
夫婦の争いは世界中どこにでもあるような話だ。妻は娘の教育のことを思って外国へ移住しようとする。夫はアルツハイマーの父の介護を抱えており、イランから出て行くつもりはない。譲らない二人は別居する。夫は父の介護のために家政婦を雇うのだが、そこである事件が起きる。妊娠していた家政婦と夫がトラブルとなり、家政婦は、お腹の子供を流産させてしまうのだ。そのトラブルをめぐって、裁判になる。夫は家政婦の妊娠を知っていて突き飛ばしたのか?家政婦が流産した真実とは?家政婦の夫は失業中で乱暴でキレやすい。それでますます問題はややこしくなる。それぞれの主張は複雑にからまりあい、入り組んでいく。真実と嘘。なぜ嘘をつかなければいけないのか、それぞれの事情。敬虔なイスラム教徒である家政婦と現実主義的な妻との対比も面白い。知的な中流層の夫婦と下層階級の夫婦の対比もある。そして、冷静に親の言動を観察している娘。父と母の間で揺れる娘の気持ち。譲れなくなる父親の嘘。家族を守るためにそれぞれの主張は激しくなっていく。次第に二人の男達が、女性たちを追い詰めていく。そこにはイスラム教社会の男女の力関係が反映されている。
せつなかったのは、子どもが父のために初めて嘘をつかなければいけなくなったときだ。父のために偽証する娘。純粋であった彼女は、正しさだけではどうにもならない現実を知る。
それぞれのキャラクター、社会的、宗教的背景を色分けしながら、男と女たちが言い争い続ける。それぞれが、神や子ども達への愛を守るために。しかし、その主張はどんどん噛み合わなくなっていく。金でさえ解決つかないのだ。宗教の厳格さも一つの要因だろう。本当のことを言えない宗教法と男と女の関係。イランの格差問題、介護問題、男女差別問題など、社会の息苦しさがこの争いに表れているのだろう。進歩的で冷静な妻が妥協点を探ろうとして、結局は敬虔なイスラム教徒である女性を追い詰めてしまうあたりも示唆的だ。
でも結局は、一歩も譲らず、相手を思いやらず、自分の主張ばかり通そうとすることに問題がある。日本人はここまで強くなれない。良くも悪くも衝突を避ける。だから余計にこの映画の人々の譲らぬ強さにグッタリときてしまう。価値観の違う国や民族、争いを解決するのは、ほんとうにムズカシイ。
原題: Jodaeiye Nader az Simin
製作国: 2011年イラン映画
上映時間: 123分
監督: アスガー・ファルハディ
製作: アスガー・ファルハディ
脚本: アスガー・ファルハディ
撮影: マームード・カラリ
編集: ハイェデェ・サフィヤリ
キャスト: レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ、シャハブ・ホセイニ、サレー・バヤト、サリナ・ファルハディ、ババク・カリミ
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