「バーニング 劇場版」イ・チャンドン

(C)2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved
NHKテレビ版が放送されたそうだが未見。村上春樹の『納屋を焼く』を原作に韓国で映画化されたという情報ぐらいしか知らないで観た。原作を読み直さないとわからないが、村上春樹的な消失、不在、パラレルワールド的な存在の曖昧さのテーマがしっかりと出ている。ただ、ラストはとても韓国映画的だ。個人的な好みで言うと、こういう形で決着をつけちゃうと、「存在の曖昧さ」というテーマが弱まって、村上春樹的な面白さが無くなる。貧困、格差、嫉妬、恨みのようなストレートな感情が噴き出してきてしまう。
北朝鮮の国境近いさびれた田舎の庭、美しい夕暮れの中でシン・ヘミ(チョン・ジョンソ)がシルエットで踊る場面(マイルス・デービスの『死刑台のエレベータ』のジャズが流れる)までの前半部が好きだ。男2人と女1人の鉄板の男女関係、トライアングルの物語なのだが、シン・ヘミ役のチョン・ジョソンが魅力的に描かれている。
「蜜柑むき」のパントマイムから始まって、姿を見せない猫の存在と不在、そしてシン・ヘミの語る子供の頃の「井戸の話」。どこまでが現実で、どこまでが作り話・フィクションなのか観客もわからなくなる。ギャツビーのような金持ちの遊び人ベン(スティーブン・ユァン)のビニールハウスを焼く話も、本当なのかどうかわからない。その物語に、イ・ジョンス(ユ・アイン)は振り回されていく。そもそもシン・ヘミの存在そのものが、フィクションのようだ。アフリカへの旅の話、現地の人々の踊りや消えてなくなりたいと思う孤独と涙。本当のことなのかも疑わしくなる。そして彼女は物語のように突然、消える。
登場人物の一人が途中で消える映画として思い出すのが、ミケランジェロ・アントニオーニの『情事』だ。地中海の無人島に遊びに行って、突然、一人の女性がいなくなるのだ。みんなでその女性を探すのだが、結局最後まで出てこない。謎は謎のまま、映画は終わる。
この映画は、シン・ヘミがいなくなってから、映画はサスペンス調になっていく。彼女はベンに殺されたのか?ビニールハウスを焼く話の信憑性とともに、イ・ジョンスは物語の謎に巻き込まれていく。車での尾行やビニールハウスを見回り続けたり、彼の混乱はラストへと繋がっていく。小説家のイ・ジョンスが物語の迷宮に入り込んでいく。境目が曖昧になる現実とフィクション。それぞれの存在自体もまた曖昧になっていく。、
韓国映画的味付けとして、ベンに代表される富裕層の豪邸と、光が射さないシン・ヘンミの部屋、そして北朝鮮国境近くの酪農をやっていた田舎の家が対照的に描かれる。ベンの周辺に集う男女たちとイ・ジョンスとの距離感。シン・ヘンミもまた借金を抱えて無一文だったらしい。韓国の現実の格差問題が背景として浮き彫りになってくる。そういう社会性が、村上春樹のこの原作とはずいぶんと違う。それが良かったのかどうかが評価の分かれるところかもしれない。
原題:Burning
製作年:2018年
製作国:韓国
配給:ツイン
上映時間:148分
監督:イ・チャンドン
製作:イ・ジュンドン、イ・チャンドン
原作:村上春樹
脚本:オ・ジョンミ、イ・チャンドン
撮影:ホン・ギョンピョ
美術:シン・ジョムヒ
音楽:モグ
キャスト:ユ・アイン(イ・ジョンス)、スティーブン・ユァン(ベン)、チョン・ジョンソ(シン・ヘミ)
☆☆☆☆4
(ハ)
スポンサーサイト