「さざなみのよる」木皿泉(河出書房新社)
※木皿泉とは、1952年生まれの和泉務と、57年生まれの妻・鹿年季子(めがときこ)による夫婦脚本家。初の連続ドラマ「すいか」で第22回向田邦子賞、「野ブタ。をプロデュース」、「Q10」、「富士ファミリー」など。初の小説「昨夜のカレー、明日のパン」は2014年本屋大賞2位。
「小国ナスミ、享年43歳」。この小国ナスミという女性の死をめぐるそれぞれの物語。これが泣けてくるのです。地下鉄の通勤時に、お店で、ボロボロとおじさんが涙を流しながら読んでいる。恥ずかしいったらありゃしない。だけど、泣けてきちゃうんです。歳をとって涙もろくなったものだ。それでも、「死ぬこともそんなに悪いことでもないのかも」なんて気にもなってくる。いや、「自分は彼女(小国ナスミ)のように、みんなの心の中に居続けるような生き方をしているだろうか、誰かに何かを伝えているだろうか」と、疑わしくもなってきてしまうのです。
基本は、小国ナスミの家族の物語です。ナスミは、姉の鷹子との小さい頃の姉妹喧嘩を思い出しながら、「お姉ちゃん、死ぬときは、負けも勝ちも、もうどうでもよくなるんだよ。知ってた?」と思いながら、姉との遊びの思い出(想像の井戸にどちらの石が先に落ちるかを競うゲーム)で、自分が先に死ぬことで姉との約束、「ぽちゃん」と小さくつぶやいて死んでいく。
姉の鷹子は、妹のナスミが「死ぬのはいいんだけど、連載漫画の続きが読めないのが、くやしい」と言っていたのを思い出し、妹の死の枕元で、漫画の最新号を読み続ける。
「おんばざらだるまきりくそわか」という楽になる呪文を妹の月美は唱え、「生きとし生けるもののなかに、自分も入っていることの幸せ」をナスミから教えらる。夫の日出夫は、自分のことを「キ」という字に喩えていたナスミとの思い出と、「と」みたいな人と結婚したらいいよ、とのナスミの携帯動画メッセージに涙する。そのほか、母からのダイヤモンドの贈り物の話は、ナスミの涙となり、死後の目となる。
それぞれのナスミという女性をめぐるエピソードは、本当にいい。生きることは、寂しくて孤独で一人だと思っても、誰かとともに生きることであり、死ぬこともまた、誰かとともにあり続けることである。誰かからの思いは、別の誰かに伝わり、つながっていく。さざなみのように。そして、哀しみの涙は、ダイヤモンドになり、死者の目となり、時には「折れた歯」さえも誰かの宝物になる。
「小国ナスミ、享年43歳」。この小国ナスミという女性の死をめぐるそれぞれの物語。これが泣けてくるのです。地下鉄の通勤時に、お店で、ボロボロとおじさんが涙を流しながら読んでいる。恥ずかしいったらありゃしない。だけど、泣けてきちゃうんです。歳をとって涙もろくなったものだ。それでも、「死ぬこともそんなに悪いことでもないのかも」なんて気にもなってくる。いや、「自分は彼女(小国ナスミ)のように、みんなの心の中に居続けるような生き方をしているだろうか、誰かに何かを伝えているだろうか」と、疑わしくもなってきてしまうのです。
基本は、小国ナスミの家族の物語です。ナスミは、姉の鷹子との小さい頃の姉妹喧嘩を思い出しながら、「お姉ちゃん、死ぬときは、負けも勝ちも、もうどうでもよくなるんだよ。知ってた?」と思いながら、姉との遊びの思い出(想像の井戸にどちらの石が先に落ちるかを競うゲーム)で、自分が先に死ぬことで姉との約束、「ぽちゃん」と小さくつぶやいて死んでいく。
姉の鷹子は、妹のナスミが「死ぬのはいいんだけど、連載漫画の続きが読めないのが、くやしい」と言っていたのを思い出し、妹の死の枕元で、漫画の最新号を読み続ける。
「おんばざらだるまきりくそわか」という楽になる呪文を妹の月美は唱え、「生きとし生けるもののなかに、自分も入っていることの幸せ」をナスミから教えらる。夫の日出夫は、自分のことを「キ」という字に喩えていたナスミとの思い出と、「と」みたいな人と結婚したらいいよ、とのナスミの携帯動画メッセージに涙する。そのほか、母からのダイヤモンドの贈り物の話は、ナスミの涙となり、死後の目となる。
それぞれのナスミという女性をめぐるエピソードは、本当にいい。生きることは、寂しくて孤独で一人だと思っても、誰かとともに生きることであり、死ぬこともまた、誰かとともにあり続けることである。誰かからの思いは、別の誰かに伝わり、つながっていく。さざなみのように。そして、哀しみの涙は、ダイヤモンドになり、死者の目となり、時には「折れた歯」さえも誰かの宝物になる。
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