「最終講義 生き延びるための七講」 内田樹 (文春文庫)

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内田樹氏が神戸女子学院で大学の先生をやめるにあたっての最終講義ほか、さまざまな議題でわりと率直に語っている講演録のため、とてもわかりやすくストレートに彼の思考が理解できる。原稿を用意しないでその場の聴衆の顔を見ながら語り続けるドライヴ感がいい。書いたものとは違う勢いがある。特に未来の子供たちのための教育への彼の思いが伝わってくる。「学ぶ」をいかに起動させるか?そして教育を市場原理に委ねてはいけないという強い思い。内田本を読んだことない人には、初級編としておススメだ。彼のブログでも掲載されている内容もあり、読んだこともあるものも多かったが、あらためて気づかされる部分もあった。学び気づかされることは、それを読む時間のたびごとに違う。

以下、気になった部分の内容をまとめたメモである。


「Ⅰ最終講義」「Ⅱ 日本人の人文科学に明日はあるか」

 コミュニケーション能力というと、目の前にいる人が発する言葉を誤まらずに聞き取り、自分の伝えたいことを簡明に伝えることだと言われているが、コミュニケーションとはもっと広い、目の前にいる人だけでなく、もっと遠く、「存在しないもの」とのコミュニケーション能力も含めなければならない。そして、それは時間を越えて死者をも含むものだ。
「経済学」をあたかも実体的なものを対象にしているように思われるかもしれないが、「貨幣」や「市場」や「欲望」もまた「存在しないもの」である。

「人間は私利私欲を追求するときに潜在的能力を最大化する」とほとんどの人が信じているからこそ、努力した人には報酬を与え、努力しなかった人には処罰を与えるというシンプルな賞罰システムを導入しようとする。しかし、人間は自己利益のためにはそんなに努力しない。知性のパーフォーマンスを向上させようと思ったら、自分以外の「何か」を背負った方が効率的だ。自分の成功をともに喜び、自分の失敗でともに苦しむ人たちの人数が多ければ多いほど、人間は努力する。背負うものが多ければ、自分の能力の限界を突破することだって可能になる。

近代知識人たちは、日本の近代化の歴史的責務を背負っていた。世俗的な成功でも、威信や名誉や財貨でもないもの。脳が高速度で回転している事実そのものとしての「知性の身体性」こそが拠り所である。その「わくわくどきどき感」こそ学術の根本であり、わずかなノイズのざわめきに「パターン」を感じ取って、「ぴくん」と反応する能力、それは自然科学でも人文科学でも同じこと。「パターン感知力」が知的イノベーションには必須である。


「Ⅲ 日本はこれからどうなるのか?―“右肩下がり社会”の明日」

 母親の育児戦略の基本は「自分の子供は弱い」ということ。だから「他の子とだいたい同じぐらいだったら、それで十分」。弱い動物は群れなして、生き延びる。母親は子供をなんとかして大きな群れに押し込もうとする。いつだって「とんでもない事態」に備えているのが母親なのだ。一方、父親は「競争に勝って、他の子たちよりも上に行くこと」を求める。相対的競争の勝者になって目立つことを求める父親型育児と、群れに紛れて、あたりと見分けのつかないものになって欲しいという母親型育児の拮抗こそ必要なのだ。どちらか一方に偏ると子供たちは社会的成熟が出来ない。それが、不登校やひきこもりや家庭内暴力を引き起こす。昨今は、母親までが「競争優位」の単一な育児戦略が増えている現実がある。

「右肩下がりの日本」が、新たな産業としてが目指すべきは「教育立国」であり、「医療立国」であるはずだった。それが教育崩壊と医療崩壊で、半死半生になりかけている。


「Ⅳ ミッションスクールのミッション」

 教育の基本は「おせっかい」。教育は商取引ではなく、無償の贈与であり、まずは教える側の「教えたい」という踏み込みがある。そして教わる側の「習いたい」という踏みこむがあるまで、教える側はじっと待たなければならない。

教育機関にも生物多様性が必要であり、「自分が学ばなければならない唯一のことがここにある」という種類の「妄想」が育たないといけない。


「Ⅴ 教育に等価交換はいらない」

 「実学」という言葉がもてはやされるが、実学における有用性とは「労働市場が高い値をつけること」、つまり「教育投資の元金がすぐに回収できること」というビジネスの言葉で教育が語られている現実こそ、教育崩壊の元凶だと内田は語る。教育の最終的なアウトカムは計量不能である。「投資と利益の回収」というスキームで論じるのはお門違いだ。内田の教育目標とは「幸福な人生を送ること」というシンプルな答え。学校で何を学んだかは事後的に、遡及的にしかわからない。ある出来事に遭遇して、「なんだ、学校で習ったことは何の役にも立たないじゃないか」と思うこともあるし、思いがけなく「ああ、あの時学んだことは、こんなときに役に立つものだったのか」と思い知ることもある。つまり教育のアウトカムは人間が生きている限り、毎日毎時「書き換え」られてゆくということ。新たな経験をする度に、学んだことの意味や価値は変わってゆく。学校は「店舗」、子供たちや保護者を「顧客」、教育活動を「商品」と考えると、費用対効果のいいものを「お客様」にお選びいただくことになる。それは教育でもなんでもない。

「子どもには理解できないような価値が世界には存在する」ということを教えないと、「手持ちの知的枠組み」から子どもは出られない。「子どもにはわからない言葉や思想」をむりやりにでも押し込んでおくことがたいせつなのだ。学びには「謎」や「暗がり」が必要であり、「矛盾を耐えて生きる」ことこそ必要なのだ。レヴィ=ストロースによれば、「親族の基本構造」とは、父、母、息子に、「おじさん」が加わることらしい。男の子の前に二人の価値観の違う成人男子の「ロールモデル」が必要なのだ。違う価値観の中で子どもが葛藤することが必要であり、同一の価値観に収斂してはならない。その矛盾と葛藤こそが人を学ばせ、育てる。親も先生も意見が違わないと、おそろしく単純で、同一な世界になってしまう。市場原理主義で語られる教育は、同じ価値観を持つように規格化、標準化することであり、それこそが教育崩壊なのだと内田は熱く語るのだ。


「Ⅵ 日本人はなぜユダヤ人に関心を持つのか」

 内田樹が1975年25歳の時に、なぜ合気道とユダヤ研究に関心を持つようになったかを、自ら率直に語っているのが面白い。
1975年とは、アメリカがベトナム戦争に負けた年であり、全共闘や新左翼の過激派運動が一つの区切りを迎えた年でもあった。あの全共闘運動とは、反米=ナショナリズム運動であったと内田は振り返る。戦後、アメリカの属国にさせられてきた日本の「ルサンチマンから生まれたある種の自己処罰の運動」だったと。圧倒的軍事力でアメリカは、アジアの小国=日本を蹂躙し、日本はベトナム侵略の後方支援基地として支援し、ベトナム特需で経済的に受益していた。安保闘争も反米基地闘争もベトナム反戦運動も、さきの戦争で死んでいった者たちへの「供養」であり、「果たされなかった攘夷」の戦いだった。だから内田は、「アメリカを睥睨する知的ポジション」に立ちたいとい欲望から、世界の中でも知的優位性を持ったユダヤ研究へと向かったのだ。最初は、当時の知性をリードするフランス思想に興味を持ち、モーリス・ブランショを通じてエマニュエル・レヴィナスに出会った。それがユダヤ研究との出会いだった。そして、神州日本の霊的卓越性、あるいは文化的優越性への憧れから、伝統的な日本武道に興味を持つようになったという内田自身の個人史が語られている。つまりユダヤ研究も合気道もきっかけは「反米」だったという単純な理由に内田自身が気づいて愕然とする。


「文庫版付録 共生する作法」

目先の利益にしがみついて長期的な利益を逸する「猿」のような人間ではなく、「自我」という枠組みをどこまで拡大できるかが大切。個人に向かって、「例外的に善良で、慈愛深い人になりなさい」と要求すればするほど、その要求に応えて自己形成を果たせば果たすほど、その人の自我の殻は硬いものになる。その人の他者との共感能力は低下する。相互支援は、「立派な人間」になることを目指すのではなく、こわばった「自我」を解体するところからしか始まらない。

「集団が自我の拡大であり、他の集団成員が自分の一部であるように感じられる集団」を作るべき。「老人」は「いずれそうなるかもしれない自分」であり、「幼児」は「かつてそうであった自分」。分岐点で別の選択をしてれば「こうなっていたかもしれない自分」である。

アメリカの理想的人格モデルは「セルフメイドマン」、独力で自分自身を基礎づけた人間。自分が今所有しているものは、すべて自分の努力の成果であり、自分はそれを占有し、誰にも分かち与えない権利があるし、そうすることが社会的フェアネスの達成なのだという考え方。アメリカは手つかずの自然と原住民を収奪して国家の基礎を築き、ただ同然の豊かなエネルギー源を発見したことによって、石油基盤社会の覇権国になった。その国民的幻想である「セルフメイドマン」という特殊アメリカ・ロールモデルが今やグローバルスタンダードとなり、全世界に強要されている。日本は日本固有の風土があり、自然と親しみ、その恩恵を豊かに享受できることを感謝し、自然や他者たちによって生かされていることを考える。そんな考え方の方が、日本には馴染がいい。

国民国家の株式会社化が進み、世界の統治者の「CEO化」が進行している。「マーケットは間違えない」というルールのもと、数値的に、株価のように、売り上げのように、マーケットシェアのように、短期的な結果を求める。5年先10年、100年先の未来を見ようとしない。「次の選挙」を「マーケット」だと見なす。1950年代の日本は50%以上がに農民であり、共同体の設計は農民の考えが基本だったが、今は日本全体が「サラリーマン化」し、国民国家も地方自治体も学校も医療機関も、すべてが株式会社のように組織化されるべきだと考えられている。

株式会社の存在理由は「利益を上げること」であり、「存続すること」ではない。経済成長から成熟社会・定常社会に向けて、国民資源を傷つけることなく、どれだけ「自我」を拡大させ、私利私欲ではなく、死者たちから未来の子供たちまでを考えつつ、共同体の仕組みつくれるかが問われている。
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