「岸辺の旅」湯本香樹実(文春文庫)

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深津絵里x浅野 忠信x黒沢 清で映画化がされるということで、本屋に平積みになっていた文庫本を手に取った。映画を観る前に読むか、観てから読むか迷ったのだが、さきに原作を読むことにした。

これが正解。この本、凄い。久々に大好きな小説に巡りあえた。面白い小説はいっぱいあるけれど、読んでいてカラダに沁み渡るような、読み終わるのが惜しいような小説はなかなか巡りあえない。なんだかとても近しいような感覚がしっくりくる小説なのだ。

生と死の間、幽霊を扱う小説はいろいろあるが、この生と死の境界がなくなっていくような溶けていくような世界を僕はとても好きなのだなぁとあらためて思った。山田太一の「飛ぶ夢をしばらく見ない」「異人たちとの夏」や、川上弘美の異界のモノたちと接触する作品群や「真鶴」、内田百閒、梨木香歩の「家守綺譚」、村上春樹などなどいろんな異界と関わり、行き来する小説を思い出す。

湯本香樹実は 相米慎二が映画化した「夏の庭」を観て、その原作として読んで以来だ。「夏の庭」は、おじいさんの死と子供たちの夏休みが描かれていたが、この「岸辺の旅」は、失踪した夫が突然幽霊になって妻の元に戻ってくる話だ。そして幽霊の夫と生きている妻は旅をする。なんともせつない話なのだ。

「しらたま」を食べるシーンが象徴的に何度も出てくる。湯に沈んだ白いかたまりは、なんだか「たましい」のようだ。夫の「たましい」を夫婦二人がふぅふぅ言いながら口に入れる。この小説では食べるシーンがいろいろと出てくる。なかでも餃子を黙々と包み続ける夫や、ロールケーキを夫がかぶりつき、はみ出たクリームを妻が手ですくい夫に舐めさせる場面は印象的だ。「食べられなくなると、この世にいられなくなるから気をつけろ」と同じ彷徨う幽霊に言われる夫。彼ももまた異様だった食欲は次第に衰えていく。食べることは官能的だったり、生きることと強く結びついている。死を食らうのが生きることの証なのだ。

したかったのにできなかったことなんて、数えだしたらきりがない。でももしかしたら、したかったのにできなかったことも、してきたことと同じくらい人のたましいを形づくっているのかもしれない。この頃はそんなふうにも思う。(P156)


妻は幽霊の夫と旅をしながら、知らない夫に出会う。新聞販売所でパソコンを直したり、中華料理店で餃子を包むのがうまかったり、田舎の農家で汗を流して働いたり、子供たちにいろいろと教えるのがうまい先生だったり。それは妻が知らない優介(夫)だった。ラストに近い夜の河原で月の授業をする優介は、まるで「銀河鉄道の夜」の先生だ。

「では月についてみんなの知っていることをあげてください」。ハイ、と五人の子供たちがあらそうように手を挙げる。


そういう知らない夫とは、実は夫が「したかったのにできなかったこと」なのかもしれない。妻は夫が失踪したことによって、知らない夫のことを知る。別の女とノリノリで明るく過ごしていた夫。人にはいろいろな面がある。一緒に住んでいても知っているようでいて、知らないことがいっぱいある。知っているような気になっているだけなのだ。それはもしかしたら、自分自身でさえ知らない自分だったりもする。

この消えゆく夫とこれまで知らなかった夫を再発見しつつ、いつまでのこの生活が続けばいいと思いながら旅する妻。その思いはせつない。ラストの美しき海辺、川や滝、雨など「水」が頻繁に描かれるが、「水」もまた「命」であり、この世とあの世を結びつけるものなのだ。すべての描写が、シンとしていて胸に沁みてくる。生きること、愛すること、自分のこと、愛する人のこと、知っているようで知らないこと。いろんなことに思いを巡らせつつ、「生きていくこと」が愛しくせつなく感じる小説だ。

さて、この美しきせつない小説を黒沢清がどう映画化したのかが楽しみだ。幸薄そうな深津絵里はまさにハマり役だし、浅野忠信もまた失踪した夫にピッタリだ。映画レビューは、近々書きます。


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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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