「村上春樹 雑文集」村上春樹(新潮文庫)

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村上春樹がいろんなところで書いてきたその名のとおりの雑文集。最近、文庫化されたので読んだみた。文学賞を受賞した時などの挨拶、メッセージ。好きなジャズやクラシックなど音楽に関するエッセイ。オウム真理教の被害者をインタビューした『アンダーグラウンド』をめぐって、あるいは翻訳に関するエッセイ、人物評など人間・村上春樹がまるごと出ている雑文集だ。彼がなぜ小説を書くのか、物語作家となったのかというあたりの考えが垣間見える。

「東京の地下のブラックマジック」というエッセイの中で、オウム真理教の信者にインタビューした時のことが書いてある。
宗教の物語と小説の物語の違いについて。オウム真理教の話は、最近のイスラム過激派にも通じる話のような気がしてくる。

彼らは物語というものの成り立ちを十分に理解していなかったのかもしれない。ご存じのように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけ出すことができる。(中略)。しかしオウム真理教に惹かれた人々には、その大事な一線をうまくあぶりだすことができなかったようだ。つまりフィクションが本来的に発揮する作用に対する免疫性を身につけていなかったといっていいかもしれない。

あらゆる宗教は基本的な成り立ちにおいて物語であり、フィクションである。そして多くの局面において物語は――いわばホワイト・マジックとして――他には類を見ない強い治癒力を発揮する。またそれは我々が優れた小説を読むときにしばしば体験していることである。一冊の小説が、一行の言葉が、僕らの傷を癒し、魂を救ってくれる。しかし言うまでもなく、フィクションは常に現実と峻別されなくてはならない。(中略)。我々はそのフィクションとはべつのところで、現実世界に立ち向かう自己を、おそらくはフィクションと力を相互交換するかたちで、作りあげていかなくてはならない。しかしオウム真理教に帰依した人々の多くが手にしたのは、きわめて危険な片道切符だった。(P258)

このややこしく困難な現実世界をどうやって物語の力を使いながら立ち向かっていけるのか、物語に取り込まれるのではなく、物語と現実との往復運動のなかで、現実に立ち向かえる自己を作り上げること、それが小説などのフィクションの価値なのかもしれない。

「遠くまで旅する部屋」のなかでは、自分の小説が語ろうとしていることを以下のように要約している。

「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることができる人は多くはない。そしてもし運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなくてはならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」

「致命的に損なわれている」という欠落感から始まる物語、それが村上春樹の世界だ。

「温かみを醸し出す小説を」では、二十代の初め、結婚したばかりの頃、お金がなくて、妻と猫二匹と、一台のストーブもなく、隙間風の吹きこむ一軒家で眠るときに、みんなで抱き合って暖をとっていた話が出てくる。人間二人と、二匹の猫。その頃をよく思い出して、そういう温かみのある小説を書くことができたらと考えるという。

真っ暗で、外では木枯らしが鋭いうなり声を上げている夜に、みんなで体温を分かち合うような小説。どこまでが人間で、どこまでが動物か、わからなくなってしまうような小説。どこまでが自分の温かみで、どこからがほかの誰かの温かみなのか、境目が失われてしまうような小説。そういう小説が、僕にとって「良き小説」の絶対的な基準になっていうような気がする。(P488)

こちらの世界とあちらの世界の境界、自己と他者の境界、そんな境界を失ってしまう感覚。そこにヒントがあるような気がする。小説とは、一時的にせよ、「こちらの世界」から「あちらの世界」へと旅すること、転移させること。「あちらの世界」を隔てる壁を、聞き手に越えさせなければならない。それが物語に科せられた大きな役目だ。それが「焚火の前の語り部」であり、物語作家である。

『ねじまき鳥のクロニクル』で書いたノモンハン戦争のことを例に、物語が自分に還ってくる話がある。村上春樹が、その小説を書いた後に、モンゴルを旅してその戦争が行われた場所に行ったとき、自分自身を混乱させる恐怖体験をホテルで味わったという。

作家が物語を創り出し、その物語がフィードバックして、作家により深いコミットメントを要求する。そのようなプロセスを経過することによって作家は成長し、固有の物語をより深め、発展させていく可能性を手にする。(中略)。僕はそのような物語の「善きサイクル」の機能を信じて、小説を書き続けている。


この雑文集の中で、特にジャズに関する音楽エッセイがいい。書いてある音楽を聴きたくなる。「ジャズってどういう音楽ですか?」という若い人の問いに関する答えとして書いた「ビリー・ホリデーの話」が出色だ。村上春樹がただただ一日中ジャズを聴いていたいという理由から、ジャズのお店をやっていた時のエピソードだ。お店にやってくる在日米軍の黒人兵の話なのだが、それがとても印象的だった。

ラストの解説対談と題された和田誠と安西水丸の村上春樹についての対談もいい。「安西水丸がこの世にいないということを痛切に感じた」と村上春樹が文庫本のあとがきで書いているが、そんな二人の関係も含めて、いいなぁと思った。
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