「妖談」車谷長吉 (文春文庫)

とても短い短編ばかりである。ほとんどの短編が車谷長吉自身のような男が登場し、街で見かけた美女の後をつけまわして警察に捕まったり、「まぐあい」が大好きな性欲過剰女に悪夢の中で迫られたり、いろいろだ。小説を書いたがパッとせず、料理人として下働きしていていた頃の話や小説が世間に認められると結婚したい女性が現れた話など、私小説的なエピソードが繰り返される。

文庫本の解説で三浦雅士が面白いことを書いている。

「作家になることは、人の顰蹙を買うことだ」と気づいた車谷長吉は、「他人に認められたいと思う人間の欲望を、赤裸々に暴き出す文章」、つまり「食欲、性欲、所有欲、金銭欲、権力欲、名誉欲、自己顕示欲等々をあからさまに示すことは下品であるとされていて、人はそれを隠そうとするが、隠せば隠すほどかえって現れてしまう。その現れてしまう機微をあからさまに書けば、『人の顰蹙を買うような文章』になる」と車谷長吉は述べている。

社会とは自尊心、虚栄心、劣等感―車谷長吉によれば「人間精神の三悪」―から成り立っている。そしてその機微を徹底的に写し取るためには、自分自身もまた「人間精神の三悪」に徹底的に染まっていることを自覚している必要がある。

「人間精神の三悪」が社会に根源的であるのは、「自分という現象」、「私という現象」がじつは私自身の眼によってではなく、人の眼によって決まってくる現象だからである。

人は承認をめぐる闘争を生きる動物であると述べたのはヘーゲルである。これは、他人が自分をどう見るかということが、他の動物にとってはいざしらず、人間にとっては決定的だということである。

人間がこの世にあって生きているということは、端的に、承認をめぐる闘争に勝利してきたということなのだ。生まれ出て激しく泣いた瞬間に、赤子はすでに他者の承認を求めているのだ。


「うちの嫁はん」が若い頃に婚約が破談になった相手の精神科医のところに会いに行く『ある精神科医師』では、「私はあなたの困っていらっしゃる顔が見たくて、今日ここへ来たんです」と言い放つ。相手が苦しんで欲しいと望む人間の度し難さ、人間のどうしようもない弱さを見つめている作家なのだ。
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    9,「エリックを探して」
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    3,「あぜ道のダンディ」
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