「オーバーフェンス」山下敦弘

蒼井優が台所でタオルを水に濡らし、必死で体を拭く場面が印象的だ。オダギリジョーと初めて夜を過ごすその時、突然姿を隠し彼女は体を拭き始める。それはまるでツルが秘かに自分の羽で機を織るように、あるいは白鳥のように飛べないあひるの子が、必死で汚れてしまった羽を拭いているかのように、何かの儀式のような行為に見える。蒼井優の痩せた小さな背中に、かつて羽は生えていたのだろうか。なぜあんな場所に座り込ませて、体を拭く場面を入れたのだろうか?風呂のない部屋で汚れた体を拭くという場面が原作にあるのだろうか?そのへんは原作を読んでいないので分からない。ただ、映画としてみると、あの場面は特異なシーンに映る。
そもそも、この映画は飛べない鳥が空を飛ぶことを夢見る映画だと言える。冒頭、カモメが飛ぶシーンがスローで映る。映画の途中でも、そのカモメの飛翔は繰り返される。蒼井優が登場するファーストシーンは、ダチョウの求愛ダンスであり、オダギリジョーとスナックで出会うシーンは、白鳥の求愛ポーズである。夜の函館公園でのロマンチックな場面では、ハクトウワシの求愛ダンスを踊り、突然の鳥の鳴き声とともに空から大量の羽が降ってくる幻想的なシーンがある。何度も蒼井優と鳥のイメージが繰り返される。蒼井優はみにくい飛べないアヒルの子?重力に押しつぶされて羽を失い、地上から離れられない飛べない鳥である。彼女は自分を「ぶっ壊れた女」と自嘲的に言う。それはまた、オダギリジョーも同じである。妻子と別れ、その妻子との過去を引きづり、訓練所と自宅を往復するだけの引きこもり男。他者と関わろうとしない飛べない男である。
そんな二人の日常は、とても閉鎖的だ。映画の場面はほとんど閉じられた狭い空間ばかりだ。北海道ロケなのに、広い空間はわずか海岸風景が描写されるくらいだ。職業訓練所の作業場、ソフトボールをする訓練所の校庭、タバコ部屋、男の狭いアパート部屋、夜の海、スナック、女の車、居酒屋、坂道、函館公園、低すぎる小さな観覧車、檻に閉じ込められたハクトウワシ・・・。男の移動手段である自転車が唯一、外の風を感じられるものである。だからこそ、宣材などに使われている自転車の二人乗りで羽を風にまく蒼井優とオダギリジョーは、美しく喜びにあふれている。風を感じて二人は空に舞いあがろうとしている。
蒼井優演じる女は、蓮っ葉な面倒くさい女である。感情の起伏が激しく、地上でもがいているようだ。そんな女と出会うことで、男は妻との過去と決別し、バッド(ビニール傘)を振り回し、風を起こそうとする。ラストの空に飛んだボールこそ、二人がこの地上の重みから逃がれ、空へと(新たな人生へと)舞い上がろうとする希望なのだろう。小さい狭い世界の二人を丁寧に描いたことで、大きな空や空間の広がりを夢想できる映画になっている。若くして自死を遂げた佐藤泰志の函館三部作、「海炭市叙景」、「そこのみにて光り輝く」そして、この「オーバーフェンス」。どれも小さな作品ながら、田舎の港町でひっそりと生きている人々のささやかな人生を描いたいい映画になったと思う。
製作年 2016年
製作国 日本
配給 東京テアトル
上映時間 112分
監督:山下敦弘
原作:佐藤泰志
脚本:高田亮
撮影:近藤龍人
製作:永田守
製作統括:小玉滋彦、余田光隆
エグゼクティブプロデューサー:麻生英輔
企画:菅原和博
プロデューサー:星野秀樹
照明:藤井勇
美術:井上心平
編集:今井大介
音楽:田中拓人
キャスト:オダギリジョー、蒼井優、松田翔太、北村有起哉、満島真之介、松澤匠、鈴木常吉、優香
☆☆☆☆4
(オ)
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