「淵に立つ」深田晃司

まさにタイトルどおり、崖っぷちに立って、闇を覗きこむようなおそろしい映画だ。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞したことで、気になっていた。深田晃司監督は、平田オリザ主宰の劇団「青年団」の演出部に所属し、映画を撮り始めた経歴の持ち主。二階堂ふみ主演の『ほとりの朔子』だけは見ていて、夏休みの何も起きないとても魅力的な映画なんだけど、そのほか『歓待』、人間とアンドロイド共演映画『さようなら』など話題作を発表し続けていて、それらは未見だ。
小さな金属加工の町工場を営む男(古舘寛治)は、妻(筒井真理子)、そして一人娘、蛍(篠川桃音)とひっそりと暮らしていた。あまり父と母娘の会話はない。そこへ旧友である男(浅野忠信)がやってくる。刑務所から出たばかりらしいこの男は、白いワイシャツと黒のパンツ姿で、礼儀正しく、言葉遣いも丁寧で、知識も豊富だ。とても刑務所帰りには見えない。この男に「頼みがある」と言われ、3週間ほど仕事をしながら家族は共同生活をすることになる。最初、突然のことで不信感を持っていた妻だが、娘に男がオルガンを教えてくれるようになると、次第に警戒を解いていく。映画は、この突然の男の出現で、家族がバラバラになり、不信感が渦巻き、地獄へと堕ちていく様子が静かに淡々と描かれる。
浅野忠信が抜群の存在感でこわい。まさにハマり役だ。教会に母と娘と一緒に行き、信仰の話などをしつつ、自分の罪を告白し、妻の関心を引き寄せていく。妻である筒井真理子が次第に男に好意を持ち始める微妙な変化を見事に演じている。男が教会でバザーの荷物を運ぶのを待つときの女の横顔を捉えた長い間。そして、喫茶店で向き合って男の罪の告白を聞く場面。さらに、夫に「見くびらないで」と流しの汚れを拭く場面。どれも見事だ。そして河原のピクニックと二人で見る赤い花。映画のラストでも繰り返される4人の河原で寝転がった写真を撮る場面。
また、古舘寛治が浅野忠信に河原で「どこまで話したんだ?」と心配で尋ねると、突然、「気の小さい野郎だな」と浅野忠信が口調を変える場面がある。浅野忠信演じる男の本性が一瞬垣間見え、ドキリとさせられる。古舘寛治が、働きに来ている青年(大賀)が、男の息子であるとわかったとき、突然、青年の頬を張る。呆気にとられる青年。あるいは、男(浅野忠信)が警察で口を割らずに仲間をかばっていたことを妻が夫に告げると、「その仲間っていうのは俺だ」と古舘寛治が足の爪を切りながら、さり気なく言う場面。どの場面も見事だ。
そんなゾクゾクするシーンの連続なのだ。激しいアクションや言葉の応酬もないが、恐ろしいことが静かに進行し、人間の魔や闇が一瞬垣間見えてしまうその描き方が素晴らしい。あの男と娘が弾いていたオルガンの曲がリフレインされ、男の姿が何度も幻影で浮かび上がる。白いワイシャツや白い作業着姿の物静ずかな男と、赤いTシャツになって暴力をふるう男の二面性。
おそらくこの男二人のかつての事件とは、全共闘運動が盛んなころの内ゲバとかリンチとかの殺人事件なのだろう。男のインテリぶりから、単なる窃盗的殺人ではないことがわかる。自分の「正しさ」を疑わず、仲間との約束を守り、法を犯し、仲間の秘密を守り、人生を失った男。そんな男に負い目を感じつつも、ささやかな家庭を築き生きていた男が、かつての仲間の出現で妻を奪われ、娘まで男の暴力にさらされる。そのことで逆に過去の負い目から救われた男。そして、宗教的信仰と男への母性的愛と性的魅力との葛藤に溺れていく女。娘の介護は自らの犯した罪への償いなのか。誰もが、自分の中の闇を抱えており、その闇と向き合わざるを得なくなってしまう苦しさ。それは会ったこともない父の暴力性の闇を自分でも抱え続けなければならない息子も同じだ。
誰もが自らの闇と向き合わなければならない。過去からも自由になれない。忘れたふりをしても、忘れられない。すべてを抱えつつ、受け入れて生きてゆくしかないのだ。
今年は興味深い力作が多い日本映画だが、なかでも人間の闇をとことん見据えたこの家族映画は、すごい力を持った作品だ。
製作年 2016年
製作国 日本・フランス合作
配給 エレファントハウス
上映時間 119分
監督:深田晃司
脚本:深田晃司
プロデューサー:新村裕、澤田正道
撮影:根岸憲一
美術:鈴木健介
音楽:小野川浩幸
主題歌:HARUHI
キャスト:浅野忠信、筒井真理子、古舘寛治、太賀、篠川桃音、三浦貴大、真広佳奈
☆☆☆☆☆☆6
(フ)
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