「終の住処」磯崎憲一郎

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大手の商社で仕事をしながら芥川賞をとって話題になった磯崎憲一郎の「終の住処」を読む。

なんだろう。この不思議な感覚は。ひとつは彼の時間感覚にある。
この小説の帯にもなって話題になった部分・・・。

「翌朝、妻は彼と口を利かなかった。
次に妻が彼と話したのは。それから十一年後だった。」(P69)

こんな風に、時間が何の説明もなしに一気に飛ぶのだ。

「まったく不思議なことだったが、人生においてはとうてい重要とは思えないようなもの、無いなら無いに越したことはないようなものたちによって、かろうじて人生そのものが存続しているのだった。じっさいいまの彼は過去のために生きていた、そしてそれで良いと思っていた。「ああ、過去というのは、ただそれが過去であるというだけで、どうしてこんなにも遥かなのだろう」」(P103)

時間をめぐる小説なんだと思う。それもとても観念的な時間感覚。
上司にも仕事のことで脅される。時間的な脅し・・・。

「つまりお前がこの案件をあきらめるのであれば、それはお前の一生を失うに等しい、これから先の未来だけではなく、過去に起こったすべてを失う、それもお前が経験したことだけでなく、この世界で起こったいっさいの出来事までも失うのに等しいのだ、なぜなら、過去においてはただの一日でも、一時間でも、一秒でも、無駄に捨て去られた時間などは存在しないのだから。」(P105)

この小説の主人公は、自分で自分の人生を選択していないようである。自分で主体的に選ぶことの
幻想をとうに諦め、結婚したことも、離婚を考えたことも、浮気をしたことも、家を建てたことも、どこか自分とは別のところで決まってしまているような思いに囚われている。離婚を妻に話そうとしたときに唐突に妻に妊娠したことを告げられる。その時、男は思う。

「そういう結末が用意されていたのか、ぐずぐずと思い悩んでいるあいだに、時間のほうが俺を追い抜いてしまったということじゃないか!なんて馬鹿馬鹿しい。」

なんと運命論的な男なのか。読者はこんな男にまるで感情移入できない。それでもこの男の妙な妄想に読者は引きずりまわされていく。妻のことも自分のことも、到底理解などできるものではない。新婚当時の他人である妻との同居に戸惑いつつ、近くの公園の池での妄想。分からないうちに、時間が過ぎていく。分からないうちに、女に出会ったり、惑わされたり、仕事でアメリカに行かされたり、親子でなぜか観覧車に乗ったり、妻と突然口を利かなくなったり・・・。そして、いつのまにか妻と年老いて、死に至るまでの時間がそう長くはないことを知る。時間は一瞬で過ぎ去り、運命は一瞬で変わる。そんな時間に翻弄されつつ、人生は続いていく。

同じ単行本の中に収録されている「ペンナント」もまた奇妙な小説だが、そのなかにも運命論的なエピソードがある。コートのボタンを失くした男が探して歩いているうちに、初めて入ったレストランの床に、自分の失くしたコートのボタンと全く同じものを拾う。そして、店の女主人に言われる。

「驚くに値しません。あなたのような類の人間は、つねに人生最後の一日を生きているのですから、物の方が先回りしてあなたの到着を待っている、そんなことはいままでもあったし、これからもしばしば起こることなのです。・・・(略)・・・そんなことよりあなたは、あなたの人生の時間を食いつぶされないように気をつけなさい。自分が偽者であることすら気づいていない、絶望的な連中が寄って集って、あなたにちょっかいを出して、あなたから時間をもぎ取ろうとするでしょう。なぜなら、偽者たちはあなたのような人間の時間を食べることによってしか、生き延びることができないことをよく知っているからです。」(P133)

時間をもぎ取られるとは何か?「物の方が先回りして、あなたと到着を待っている」とは、「終の住処」で妻に妊娠を告げられ、「時間の方が俺を追い抜いてしまった…」感覚と似ている。
自分が主体的に選択することは、もしかしたら自分がそうしていると思っているだけなのかもしれない。そんなことは幻想で、ぼやぼやしているうちに、自分を物や時間が追い越しているかもしれないのだ。

「終の住処」で、家を建てる時に、ちょっと不思議な建築士にこんな風に言われる。

「家というのは元々が人間よりははるかに寿命が長いものなのです。だから人間が家を建てようなどという傲慢を抱いてはいけない、家によって、ある定められた期間、そこに住む人間が生かされているだけなのですから」(P91)

「あらかじめ定められた期間」、人間は生かされているに過ぎない。自分が何かを選んで生きているという考え方そのものが人間の傲慢さなのかもしれない。
どこまでが確かに自分が生きた時間なのか、あるいは、どこまでが自分が選んだ人生なのか?私たちは、束の間、この広い宇宙に生かされただけの、あやふやな存在なのかもしれない・・・とこの小説を読んで思ったのでした。

(つ)
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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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