「空気人形」是枝裕和

これは、いわゆるファンタジー・ラブストーリーではない。そんなせつない恋映画を想像していたら、後半は一転、へヴィーな展開となる。単なるほのぼのとしたファンタジーで終わらせなかったところは、是枝監督の社会性だろうか。

劇中で引用される吉野弘の詩がいい。ネットで探してみました。

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための虻(あぶ)だったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない

空気人形


空気人形の映画と聞いて、最近で思い出すのは「ラースと、その彼女」だ。あれは善意に満ちたファンタジーだったが、この映画はいささか生々しい。劇中、空気人形たるペ・ドゥナが哀しみをこめて「私は性欲処理の道具」と自らつぶやくように、性の代用品としての自らの存在を語る。空気の吹き込まれることで存在できる彼女は、まさに吉野弘の詩にあるように、自ら「欠如を抱いた」「誰かのための虻や風」である。

公園で出会う代用教員であった老人(高橋昌也)もまた、自らを空っぽであると告白し、彼女が好意を寄せるビデオ店員(ARATA)も同じようなものだと告げる。いわばこの映画の登場人物はすべて空気人形的代用的存在であり、空っぽの人間たちばかりだ。ウエイターの板尾創路は、「お前なんかいつでも代わりがいる」と怒られ、テレビで事件を妄想する富司純子もまた、バーチャルな現実を生きている空気人形だし、人形を手放さない少女も、オタク少年も、ゴミに埋もれる女も、みんなみんな空っぽの心を抱えて、代用で済むこの現代を生きている。

人間の存在自体が「他者の総和」であり、誰かの「風」や「虻」である「欠如を抱えた」存在であることを改めて考えさせつつ、空っぽであるはずの空気人形が、空気を吹きこまれ、「私」でしかできないことを求め、満たされたいと思うことの悲劇が描かれる。燃えないゴミと燃えるゴミの違いでしかない空気人形と我々人間は、空っぽの心を抱え、誰かの「風」であることを希求する意味では同じだ。


この映画で、レンタルビデオ店で、彼女がARATAに空気を入れられる場面がエロティックだ。壊れゆく身体と刹那な時間がそこにあるからだ。「見ないで」と叫ぶ彼女と必死に息を吹き込む彼。人形であるはずの彼女が、身体性を獲得して一時的な<死>にゆくエロティシズムがそこにある。だから、後半で彼が「空気の抜いてもいい?」と彼女に聞き、それを実行するのは、そこに彼は性的なエロスを見たからだろう。もしかしたら彼は、昔の彼女を殺したのかもしれない・・・そんなことを連想させる。そう、空気が抜けていく彼女の姿はとても官能的なのだ。「あぁ~」と言いながらせつなそうに苦悶する姿は美しい。空気を抜いて息を吹き込む行為はセックスそのものだ。

しかし、彼の部屋で繰り返されるその反復行為は、ビデオ店のときと違って一回性の時間的刹那がなく、あらかじめ約束された遊戯でしかない。まさに空気人形は、人形として、もてあそばれた。だから<仮の死>が繰り返されるあのシーンはせつなく哀しい。もしかしたら、その行為を彼に反復しようとするのは、人形としての復讐だったのかもしれないし、宿命なのかもしれない。

初めの方で彼女が軒先の雫を手で感じ、老婆の身振りを真似て身体性を獲得する場面が美しく感動的なのは、そこに我々も身体性を持つ意味を意識するからだ。水が冷たいこと。風を肌で感じること。唯一無二の身体性こそが、美しくエロティックなのであり、空気人形を演じながら、その身体性が際立った彼女の逆説こそが、無垢なる存在の美しさを我々に強く印象を残す。

僕は、あのくりくりしたペ・ドゥナの目玉を見ながら、フェリーニの『道』のジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)を思い出していた。サーカスとともに旅をする永遠なる無垢なる哀しき女性像であったジェルソミーナの姿を僕は忘れられない。ペ・ドゥナのふわふわと動き回るその姿は、存在していることが、空っぽで欠如を抱いた哀しみに満ちたものであることを思い出させてくれた。

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また僕は寺山修司の「田園に死す」に中での春川ますみの空気女を思い出す。
♪空気女という哀しい歌があるのだが・・・。
作詞:寺山修司/作曲:JA・シーザー/唄:荒井沙知


空気女のかなしみは
たとえば空のながれ雲
ふわりふわふわ 恋をして
ふくらみきって, ちぎれきゅく

  さあさあ,空気女だよ!
  一分間に一キロもふくらむ
  世にもあわれな 空気女だよ!
  ホーラ,ふくらむんだ! ふくらむんだよ!
  男に捨てられるたびに, ふくらむんだよ!

空気女のかなしみは
たとえば空のながれ雲

  亭主と別れるたびに
  ぷくらむんだ!
  財布を落としたり
  我が子と生き別れしたり
  するたびにふくらむんだ!
  世にもあわれな空気女だよ!
  ふくらみすぎるとフワーッと
  空に浮かんで,飛んでゆくんだ!

空気女

寺山修司のサーカスにいる空気女は、空気をふくらまされて見世物になる。その哀しさで身を売って生きている女だった。

繰り返し反復される再生可能な哀しさ。あのニセモノの性器を洗う場面をあえて見せたところに、この映画の覚悟があります。だから、再生不可能な身体性を獲得しようとした彼女が哀しいのでしょう。

私たちは、一回限りの限られた<時間である生>を生きている。反復可能で修復可能な<生>を生きている訳ではない。身体性を持つことは、その時間を感じること。死を意識すること。だからこそ、今このときがおしい。

映画自体が現実の代用=妄想であるように、誰もが誰かの妄想=代用なのかもしれない。代用に満ちた薄っぺらな現代社会を嘆くことよりも、もっと本質的な問いがここにはある。生きていることの欠如と空っぽさ、その自覚なくして、人の身体に息など吹き込める訳がない。誰かの「風」になれる訳がないのだ。この映画のように、錯覚や妄想として、相手を殺しかねないのだ。「私の息で生き返らせてあげる」と言っても、もうその時は取り返しがつかない。私たちは滅びゆく<死>に向かいつつ、再生不可能な1回限りの限られた<時間=生>を生きているのだから。そして私たちは、いつか美しきゴミ=死体になるのだ。

監督・脚本・編集・プロデューサー: 是枝裕和
原作: 業田良家
撮影監督: リー・ピンビン
キャスト:ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、高橋昌也、余貴美子、岩松了、寺島進、オダギリジョー


☆☆☆☆4

(ク)

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ジャンル : 映画

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No title

私も  あるとき
誰かのための虻(あぶ)だったろう
あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない
 
これ すごく好きでした。

Re: No title

> *アナ・バナナさん
> いい言葉ですよね。わかりやすい言葉で 大切な言葉を伝えている。
> 吉野弘さんは、結構なお爺さんですね。
>
> このブログにある「蟹の話」というのは、ゾクッとしました。
> http://www5c.biglobe.ne.jp/~kari-/yosino.html
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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

Author:Yasuo K  ( ヒデヨシ)
札幌でテレビの仕事をしている
オヤジです。
映画にまつわる雑文です。
2006年からの映画レビュー。
それから、本の感想を少し。


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