「私が語りはじめた彼は」三浦しをん

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三浦しをんという作家は、やたらと巧い。私は初めて彼女の小説を読んだのだが、まだ若い作家(1976年生まれ)なのに、なぜこんなに巧い小説作法を心得ているのか、驚かされる。さすが若くして直木賞を受賞した(『まほろ駅前多田便利軒』)だけのことはある。

この小説、大学教授・村川融をめぐる様々な周辺の人物の連作長編物語だ。村川融なる男がどんな男なのか、最後まで謎のままだ。それどころか、様々な疑いや妄想が渦巻き、一体何が真実なのか最後まで読者には示されない。

教授の女性関係を暴露する手紙が大学に送られ、その手紙を送った人間を突き止めるために、教授の妻のもとをを訪ねた教授の助手の男との間にこんなやり取りがあった。


「あなたは、僕に真実を語ってくださったんじゃないんですか」
「私は、私にとっての真実を語りました。事実は一つですが、真実はきっとひとの数だけあるでしょう」
                                       (P50「結晶」より)


とその妻は、調べに来たその男を煙に巻く。誰がその手紙は書いたのか?謎のまま、終わる。同じようにほかの短編連作もすべてが謎のままだ。

夫は妻を疑い、疑心暗鬼になり、妄想を膨らませ、夫婦の関係が歪んでいく。息子もまた離婚した父のことが分からなくなり、損なわれた気持ちのまま、父とは別の人生を生きようとする。監視され続ける娘は、母のことを疑い、監視の依頼者が母だったのか、謎のまま、娘は海へと入り、その妹の死の謎を抱えたまま、姉は愛とは別の静かな結婚を決意する。みんなみんな謎だらけ。真実は一体どこにあるのか不明のまま、それぞれがぞれぞれの道を探し、静かに生き、あるいは静かな死を選ぶ。

ラストの「家路」が秀逸だ。妻のもとにいつしかやってくるようになった若い学生。一緒に夕食を食べながら、その学生と妻との関係を疑いつつ、夫は妻に何も聞けない。子供ができなかったその夫婦にとって、その学生は息子の代わりなのか?それとも妻の恋人なのか?結局、その関係も謎のまま、夫は静かに決意する。


私は、家に帰ろうと思った。
たとえ伊都が、私の留守に奥村君を引き入れていようと、もはやかまわなかった。なに食わぬ顔で食卓につき、父親役でも間抜けな寝取られ男役でも、何でも演じてみせよう。
私は伊都に言う。愛ではなく、理解してくれ。暗闇のなかできみに囁く私の言葉を、どうか慎重に扱ってくれ。
そしてまた、こうも言うだろう。
きみと話がしたい。きみの話を聞かせとほしい、と。                (P288「家路」より)


愛には疑いがつきまとう。信じあえることが幻想にしか過ぎないことをこの若い女性作家は描く。関係には、お互いの妄想やら疑いが前提であり、その上で、どう関係を維持していくか?あるいは訣別していくかが描かれる。「事実は一つでも、真実は人の数だけある」。だからこそ、それぞれの思惑がズレ続ける中で、その妄想の中で静かに生きていくしかない。そして、理解しようとすること、理解してもらおうとすることのみが関係を維持していくことの秘訣なのか・・・?

磯崎憲一郎の『終の住処』とも通じ合うテーマが描かれているような気がした。女性的な視点による疑いや妄想や騙しあいみたいな関係の危うさ、脆さがここでは描かれている。成熟した小説世界がここにはある。

(わ)
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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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2009年映画ベスト10
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