「海炭市叙景」熊切和嘉

村上春樹、中上健次らと並び評されながら、文学賞に恵まれず、1990年に自らの命を絶った不遇の小説家・佐藤泰志。「海炭市叙景」とは彼の故郷である函館市を海炭市として舞台にして、そこに生きる人々を描いた連作小説集。それを、北海道の帯広出身の熊切和嘉監督が映画化した。函館市民の手によって企画され、有志によりお金が集められ、多くの市民も参加してロケが行われたという奇跡的な映画。エンドロールの協力者の名前の圧倒的な数は、感動的でさえある。まさに函館市民の熱意と力によって成立した映画である。
熊切和嘉監督は、デビュー作の「鬼畜大宴会」は観ていないのだが、「空の穴」、「アンテナ」、「ノン子36歳(家事手伝い)」と観ており、とても力のある若手監督として注目していた。いつも登場人物たちとの距離感が絶妙で、決して過剰に肩入れするのではなく、安易に夢やハッピーエンドを描くのでもなく、いつも冷静に静かに遠くから見つめている感じがいいのだ。
そしてこの「海炭市叙景」は、まさに函館という地方都市に生きる人々のサマを静かに淡々と描いているという意味で、とても優れた映画になっている。20年前に書かれた小説の映画化なのに、今の時代の閉塞感と驚くほど似通っている。
冒頭、少年が曇ったガラスを手でこすると、ピントが窓ガラスから外の景色へと移り、霞んだ函館の街が写し出される。とても印象的なファーストカットだ。そして造船所であるドッグの事故が知らされ、学校から病院へ向かう兄と妹の廊下でのバックショットから、目覚ましベルの音で時間が移り、その兄と妹が二人きりで生活している朝の部屋へと変わる。そんな風にして、エピソードがつながっていく。ドッグが一部閉鎖になり、大量に従業員が解雇され、仕事を失った兄(竹原ピストル)は妹(谷村美月)と大晦日の夜に初日の出を見に行く。この最初の兄と妹のエピソードが、年末の侘しさもあって、なんとも哀しくせつない。ロープウェイの待合室でいつまでも兄のことを待つ妹のシーンがいい。
さらにプラネタリウムで働く夫(小林薫)と水商売に働きに出ている妻(南果歩)と一人息子の家族の不協和を描いたエピソードでは、最後の雪に車がはまり動けなくなる場面で、夫のやるせなさ、どん詰まり感がよく出ている。立ち退きを拒否し続けている老婆は、素人らしいのだが、タバコと猫を巧く使いながら、やや台詞まわしには難があったが、存在感は素人ならではの迫力だ。また親からガス会社を引き継いだ2代目社長の加瀬亮の家族の物語もリアルで、行き詰っている苛立ちが見事だ。奥さん役の子供への虐待妻も素人の女性だそうで、驚きの存在感だ。事務所の職員の女性の感じもいい。最後の市電の運転手の父とうまくいっていない息子(三浦誠己)のエピソードでは、場末のスナックのシーンが妙に明るくていい。このスナックのシーンは「ノン子36歳(家事手伝い)」でも、熊切和嘉監督は見事に描いていたのが思い出される。
5つのエピソードからなる市井の人々の哀しみや行き詰まり、閉塞感がなんとも切なくリアルに描かれていて、それをどこにでもありそうな寂れた地方都市で描いている。冬の函館の寂しさや侘しさの描かれ方が背景としてとてもマッチしている。夜の寂れた繁華街や再開発され大型電気店が見える中で取り残されたボロい家、プラネタリウムで働く夫婦の団地の階段や部屋の様子などロケーションが見事だ。ガス会社の社長宅は逆に新しく生活感がなく、家庭の冷たさがよく出ている。
そしてこの映画の特徴は、乗り物だ。時代から取り残されつつある大型タンカー船や夜の路面電車、そしてバス、最後はフェリーから見える海からの函館山が印象的だ。テレビから初日の出で行方不明になった男のニュースが流れる。崖から回収できない死体を一度海に落としてから回収したというニュースは、一層、哀しみの情景の海として映し出される。生も死も包み込んで、風景はいつだってそこに静かに冷徹に横たわっている。そして、夜の路面電車に乗っている登場人物たちは、いったいどこへ行くのだろうか?
行き場のない哀しみを抱え、かつての幸せを夢見つつ、時代に翻弄されながら、もがきつつ悩みつつ、夜の路面電車に揺られながら、どこまでもどこまでも彷徨い続けるのだろうか?
製作年: 2010年
製作国: 日本
監督: 熊切和嘉
原作: 佐藤泰志
脚本:宇治田隆史
撮影:近藤龍人
音楽:ジム・オルーク
美術:山本直輝
キャスト:谷村美月、竹原ピストル、加瀬亮、三浦誠己、山中崇、南果歩、小林薫
☆☆☆☆☆5
(カ)
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