「パンドラの匣」 太宰治

映画の『パンドラの匣』を見て面白かったので、すっかり忘れていた太宰の原作を読み直してみた。確か中学生くらいの時だったろう。太宰を読み漁ったのは。古い文庫本を本棚から探し出して読んだ。昔の文庫本って字が小さいんですね。

太宰にしては明るい小説と言われている。終戦の日の描写から始まる。まさに1945年10月から翌年1月まで終戦直後に新聞に連載された小説だそうだ。

結核である主人公が、敗戦の天皇のラジオ放送で家族が悲しみにくれているとき、「喀血した」と告げて、奇妙な健康道場に入ることになる。敗戦直後の混乱期であるにもかかわらず、閉ざされ隔離された健康道場は別世界の静けさだ。繰り返される単調な日常。その日常のリズムの中で、ささやかな出来事がいくつか起きる。そこで<ひばり>である思春期の主人公が、新しい時代を迎えて、「新しい男」に生まれ変わるための自意識と女性への思慕と大人への成長を友人への書簡形式で描いている。


この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びていく植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びていく方向に陽が当たるようです。」


このラストの文章が示しているように、主人公は過剰な自意識を捨て、「蔓が太陽に向かって伸びていく」ように、自然体でいいのだと自覚する。彼はいつも友の手紙で、「新しい男」になるんだと主張する。新しい時代の「新しい男」になるために、つまらないことに囚われないで旧式の時代から脱皮しようとする。しかし、そんな「新しい男」だと自ら宣伝しなくてもいいのだ、そんな過剰な「化粧」にこだわる必要などないのだと思うように至る。「蔓に聞けばいい。自然に陽に向かって伸びていくのだ」と。終わり方は、だから明るくすがすがしい。

太宰のテーマである「強烈な自意識」は、ここでも十分に描かれているのだが、書簡形式のため、どこかとぼけた感じである。助手さんである<竹さん>への思慕は<マア坊>の描写に隠さされつつ、最後に本音が吐露されるあたりは微笑ましい。一人称の手紙であることで、自意識から生まれた<嘘>をうまく物語に使っている。そして、大人の女性である<竹さん>や隣りベッドの詩人・花宵先生、そして友の態度に刺激されて、<ひばり>は自分に対しての冷静な距離を持てるようになる。

いつも「いやらしい」という口癖の<竹さん>や、「いじわる」が口癖のマア坊の描写も魅力的だ。さらに花宵先生こと越後獅子やかっぽれ、固パン、隣りの<白鳥の間>の連中など、各キャラクターの描き方が戯画的で面白い。


映画では、<ひばり>の手紙の友をマア坊を妹のように思いを寄せる退場した<つくし>にしてしまい、さらに最後の<竹さん>の結婚相手も道場長ではなく、<つくし>に改変している。そうすることで人物を整理し、<つくし>(窪塚洋介)の存在感を際立たせたという意味で、うまい改変だと思う。そして、何よりもセリフのやり取りのリズムで、この独特の健康道場の雰囲気と助手さんとの関係を描いたのは、秀逸だと思う。原作の良さを生かしつつ、また別の魅力を描いていた。
映画「パンドラの匣」

新しい時代を迎えて、深刻めかしたものではなく、ヘンに大袈裟な身振りでもなく、身軽に空を飛ぶ鳥のような「かるみ」を太宰は求めたのだろう。すべてを失い、すべてを捨てた者の「平安」、それこそが「かるみ」だと主人公の<ひばり>は友に力説していた。<ひばり>は軽やかに空を飛べるのか。それはいつの時代でも通用する普遍性のある思春期の思いなのだ。

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