「きことわ」 朝吹真理子

永遠子は夢をみる。
貴子は夢をみない。

「ふたりとも眠ったのかしら」   (P3)

という描写で始まる。美しい始まりだ。
車の後部座席で8歳の貴子と15歳の永遠子がふざけ合っていた25年前の夏。髪が絡まり合い、足や腕がどちらの足と腕かわからなくなり、肌が重なり、影もほつれる姉妹のような二人。貴子と永遠子の記憶と時間が行きつ戻りつする物語。そう、これは記憶と夢と時間のお話だ。

25年前の葉山の別荘で過ごした夏の記憶、そして、その別荘を取り壊すことになって、25年ぶりに再会した二人。その25年の間に、貴子の母の春子は亡くなり、永遠子は結婚して百花という女の子を産んで40歳になった。貴子は、結婚せずに妻子ある男性と付き合って、死のうとして別れて、今も独身の33歳。そんな25年のそれぞれの時間は一瞬の夢のように過ぎ去り、二人の時間がまた交錯する。


しかし、幾億年のむかしのとこも幾光年さきの場所も夢のなかではいつもいまになり、ひかりなどがのろいものにおもえる。過ぎ去った一日も百年もおなじように思えていた。いまとなってはほんとうのことかたしかめようのない記憶だった。音から音へとおもいがけなくつづき、どんどん背景がおしやられてゆく。
「こうしているうちに百年と経つ」       
春子の声が夢の路を通して、二十五年後の永遠子の耳に届いた。  (P20)


こんな風に時間が自在にジャンプする。時間は等しく流れているはずなのに、なぜか一瞬のうちに何年もの時間が過ぎ去る。永遠子が大好きな「おおむかしの生物」の図鑑のように、三億五千万年という地球規模の時間もまたこの物語の中で一瞬のうちに意識されるのだ。

そして、時間のジャンプは時に、鏡やガラスの反射に映る自分の姿がきっかけとなる。


ちいさいころも、この食器棚の前を通ると、いまみている自分のすがたとおなじような、年をとった大人のすがたが移りこんでいるように思えた。それは実像をさきどりしてうつっていたのではなかったか。いまこの瞬間の像を、40歳の永遠子を、過去の自分はながめていたのかもしれなかった。ならば、今度はこちらがおさない私をみる番だと、永遠子は食器棚の前を移動するたび、ガラス戸に目をうつした。    (P61)

あるいは葉山の道路反射鏡を通して25年前の貴子と永遠子の過去の姿がよみがえる。

貴子の帽子はニット帽で、頭頂部に白いボンボンがついていた。永遠子は、ながい一本の赤いマフラーを貴子の首に巻いてやり、ふたりでこの坂道を歩いていた。その姿を鏡越しにみた。いまと同じように、車道側に永遠子、壁側に貴子だった。       (P81)

あるいは、音や歌を通じて時間がジャンプする。

うめのはな、と唄う葉山の坂道で小唄教室から聴こえてきた女のひとの声。永遠子は娘の百花を連れて海辺の盆踊りで、この「真室川温度」を聴く。貴子は、渋谷で見かけ白地の鉄線柄の浴衣を着ていた女性が永遠子だとなぜか思いこみ、その浴衣を着て永遠子が盆踊りに行ったと確信している。

いま自分がどこにいるのかわからなくともその場所にいることができるように、自分は葉山の海岸沿いにいながら、また東京の渋谷にもいたのかもしれないと夢のようなことを思った。ほんとうに夢では会っていたのかもしれなかった。もしかしたら現実に起こった過去のように、夢が記憶にまぎれこんだのではないかと永遠子は言った。
「でも、私、夢をみたことないから」
「夢をみないひとはいないのよ」      (P91)

このように現実と記憶は曖昧になる。貴子と永遠の身体の境界が曖昧になったように、二人の記憶が夢の中で交錯する。会ってもないのに、会ったかのような錯覚。夢が記憶に紛れ込む。

あるいは携帯電話の音の向こう側の雑音と混乱を通して、死が突然迫ってきたりもする。こんな風に、いまここにある現実の身体と時間が一瞬のうちに過去に引き戻されたり、あいまいで不確かなものに変わってしまうその描写が面白い。


雨がきりなく落ち、敷石に撥ねかえる音がつづく。沈黙のなか、こうした雨は気象学では何というのか。粗雑なことばが永遠子のなかでいくつか浮かんだ。たしかに雨が降っているはずの庭は、照ったり曇ったり天気が変わっているようにもみえる。瞬間と永遠とがもつれてふとしたうちに百年千年と経つようだった。(P133)


そして、雨音が「瞬間と永遠とがもつれてふとしたうちに百年千年と経つよう」に、いまここにいる現実が、時間を飛び越えてしまうのだ。

最後に夢をみない貴子が初めて夢をみる。葉山の別荘が更地になった夢を。

更地から生え始めた草木は、季節によって、枯れては芽吹き陽がのびればそれだけ茂る。果実は熟れては落ちる。そうした天象の一瞬一刻がくりかえされることなくくりかえされる。 (P140)

かくして夢はくりかえすこの地球的時間をもうちに含み、永遠と一瞬がもつれあうのだ。

この小説は、時間が一瞬のうちに歪み、百年千年を過ぎたかと思えば、太古の昔に引き戻され、25年前の過去と今とが行きつ戻りつし、記憶が溶け合い、存在自体があやふやで不確かな夢の中にまぎれこんでしまうようなおぼつかなさを感じられるところが面白い。

(き)
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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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映画にまつわる雑文です。
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