「接吻」万田邦敏

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ずっと気になっていた日本映画「接吻」を見た。小池栄子が獄中の殺人犯に恋をする狂気の演技が評判になった映画だ。

ファーストシーンから見事に不気味さを表現している。階段を昇る男(豊川悦司)をカメラは後ろから捉え、その男のジーンズの後ろのポケットに何やら金槌のようなものの柄が見える。観客はアレ?っと思う。そして男は無造作に家の扉を開けようとする。しかし、開かない。再び男は歩き出し、近所のすれ違うおばさんに「こんにちは」と挨拶を交わす。不審げに挨拶を返すおばさん。そして別の家の扉を男が開けようとすると、今度は鍵がかかっておらず、扉が開いて家の中に入っていく。娘が帰ってきたと勘違いするお母さんの声。男が玄関ロビーに立つ俯瞰ショット。そしてそれから部屋の中へと男は向うのだが、それ以降、部屋の中は一切映さない。子供が勢いよく帰ってくる。そして悲鳴を上げて逃げようとした瞬間、引き戻される恐怖のカット。さらに、父親が夜に帰ってきて不審気に家に入る。カメラは家の外観を写すだけ。男の一家惨殺事件を家の中の殺人シーンを一切映さないことで描いたこの見事な導入で、観客は一気に男の不気味さとともに映画に引き込まれる。この導入部だけで、この映画は面白い!と思えた。

男がなぜ殺人を起こしたのか、銀行の監視カメラに向かって笑いかけ、警察に自ら電話し、マスコミに逮捕の瞬間を中継させたのか、映画は何も説明しない。その間、男は何も語らない。男は映画の前半部、しばらくは無言のままだ。裁判が始まっても、弁護士が面会に来ても一切しゃべらない。

同じように、女(小池栄子)がなぜ急にニュースを見て、テレビで笑いかける男に興味を持って新聞のスクラップを始めたのかも説明されない。女は黙々と新聞記事を切り抜き、ノートに男のことを書き留めていく。

淡々と進行する物語。説明は何もされないまま、男は殺人を犯し、女は男に興味を持つ。弁護士(仲村トオル)が触媒役となり、その二人の間を取り持つ。そして、二人の手紙のやりとりが始まる。この映画は、台詞が極端に少ない。主役の二人がほとんどしゃべらないのだから当然だ。だから、小池栄子が「あなたの声が聴きたい」と手紙で語り、やっと裁判所で聴けた豊川悦司の「ありません」という声に、観客はゾクッとする。最初におばさんとすれ違った男の「こんにちは」という声を思い出しながら、あれ以来の彼の声をやっと聴けたのだ。観客はその時、小池栄子の気持ちと同化する。

無表情な豊川悦司と無表情な小池栄子。仲村トオルだけが感情を露わにする。豊川悦司が銀行のカメラに向かってした笑顔と重なるように、無表情だった小池栄子がマスコミに取り巻かれて笑顔になる場面が怖い。二人の不気味な笑顔がシンクロする。

刑務所での面会室のやりとりや裁判所のシーン、画面は密室ばかりだ。だから、弁護士の仲村トオルと小池栄子が男の兄(篠田三郎)を訪ねるシーンが、効果的だ。広い緑の田んぼ。小池栄子は無視され続け、いいように扱われてきたこれまでの生きてきた思いを仲村トオルに語る。この場面では、ロングショットが多用される。田んぼが広がる空間の中で、二人は取り残されたように小さい。広い空間の中でも、小池栄子はずっと孤独だったのだ。

黒沢清のホラーものと不気味な感じがちょっと似ている。淡々と起きる事件。亡霊のようなイメージ。葛藤や対立のドラマではなく、心の奥深くの水の底に沈み込んでいくような説明のつかない不安な心理。単純に弁護士の仲村トオルが、男の殺人動機や女が男に惹かれた理由を説明しようとするが、その説明の言葉は、言ったそばから空しく響く。言葉で説明なんてできやしない。そんな説明しようもないものをこの映画は描いている。

拘置所の面会で、工場の立ち仕事で疲れて小池栄子があくびをするシーンがある。それをちょと笑う豊川悦司。二人の心が通うシーンだ。そのあと小池栄子が、「ちょっと眠っていい」と聞いて、面会中に眠り始める。これまで刑務所でわざわざ面会に来て、眠る女を描いた映画などがあっただろうか。このシーンには驚いた。人前で眠るということをこの女性はこれまで一度もしたことがなかっただろう…と観客は想像する。それくらい「眠る」という行為は無防備な行為であり、それはある意味で、心を許した相手の前でしかできない行為であることを、このシーンは見事に描いている。そして、男はこの「眠る女」を見つめる。きっと、これまでどんな感情も持たず、人を見てきた男が、初めてある感情とともに女を見つめたのではないかと思えてくる。女が単に「眠る」というだけのシーンで、見事に二人のこれまでの孤独な人生を描いている。初めて心が通い合うラブシーンが女が男の前で、つかの間「眠る」という映画なのだ。

この映画は、多くのことを語らずにとても豊かなことを映像を通して描いている。とても見応えのある映画だ。そして小池栄子は、たしかに好演している。その無表情さに説明しようのない孤独と哀しみと情熱と狂気を湛えている。ラストの「ハッピー・バースデ―」の歌もいい。



製作年/国 2006年/日本
配給 ファントム・フィルム
監督 万田邦敏
製作 仙頭武則
脚本 万田邦敏、万田珠実
撮影 渡部眞
美術 清水剛
キャスト 小池栄子、豊川悦司、仲村トオル、篠田三郎

☆☆☆☆4
(セ)
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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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映画にまつわる雑文です。
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