「ためらいの倫理学―戦争・性・物語」内田樹(角川文庫)

この本は内田樹の「デビュー作」(2001年)の文庫版である。だから、やや言葉が攻撃的で荒削りである。「半・遁世人」という中途半端な人間であると自らを語り、「専門家」でも「素人」でもなく、その中間ぐらいの言葉づかいで評論的に文を作る人間に対して需要が存在したのであろうと自らの存在理由を「まえがき」で書いている。「生活者の実感」と「専門家の理屈」のあいだの「ずれ」や「落差」を架橋する内田樹の特徴は確信的自覚のもとで書かれているのだ。

この本で多く語られていることは、対立する図式のなかに組み込まれるような不毛なる言説には加わらないということ。だから「戦争論」とか「性的自由について」とかについては語らない。なぜなら、人はそのどちらかに与する文脈から自由になれないからだ。そしてこれまでの彼の言説とは硬直した「正義の人」との戦いであったと書いている。マルクス主義者やフェミニストたちのような。「敵意と憎悪」をかきたてる言説こそ不毛である。

そして、畏怖と憐憫、殺意と欲望を同時にかきたてる「他者」を攻撃し、詰問し、審問するのではなく、「他者」を愛することの大切さをエマニュエル・レヴィナスを引用しつつ語る。コミュニケーションの不可能性を覚知するからこそ、コミュニケーションの欲望を駆動させ、「他者」の言葉に耳を傾け、「私」を破壊し、変容し、新たに創造させること。

そして、アルベール・カミュを論じながら、その「ためらい」にこそ大事なものがあると書く。「暴力は不可避」だと認識していながらも「暴力の正当化」を拒否するその中途半端さは、サルトルによって論破されたが、その中間性、「いやな感じ」こそ、暴力を「限界づける」のだ、と。信仰でも階級闘争でもない、「ためらい」の思想をカミュは問うている。

以下は本書の中の気になった箇所の私的引用メモである。

私は知性を計量するとき、その人の「真剣さ」や「情報量」や「現場経験」などというものを勘定に入れない。そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する。(P25「古だぬきは戦争について語らない」)

記憶というのは、その出来事「そのもの」の強度によって記憶されるのではない。その出来事が「そのあとの」時間のなかでもつことになる「意味」の強度によって選択されるのである。

他者の記憶を、あるいは幻視された記憶を取り込むというのは、「記憶の共同化」という一つの集合的な営みである。「記憶の共同化」を通じて、はじめて共同体というものは成り立つ、と私は考えている。(P50「自虐史観と戦後責任論」)

戦争について、あたかも「上空飛行的」な俯瞰的視座から論じているように思い込んでいるそのとき、私たちはたいていの場合、それと気づかぬままにすでに「戦争機械」たる国民国家の構成要素に組み込まれている。作家であれ哲学者であれ、その人が無国籍者でないかぎり、どれほど思弁的なものであれ理念的なものであれ、こと主題が戦争である限り、「倫理性」や「正義感」が高まれば高まるほど、その情動は「憂国の至情」に似たものとなる。そして、「至情」は必ず「亡国の徒輩」への「敵意と憎悪のエネルギー」に転化し備蓄されてゆき、それはそのまま戦争機械を前に進める原動力となる。(P88「戦争論の構造」)

「無意味な死を、いかなる正当化し有意味化する言説にも回収されず、『無意味なもの』として語り抜くこと」こそは、おそらく文学の本来的な使命の一つなのである。
「無意味な死を意味づけようとするシステム」に抵抗して、「無意味な死は『無意味』である」と言い続けて殺される青年の物語・・・アルベール・カミュの『異邦人』(P109「戦争論の構造」)

思えば、私のこれまでの人生は「正義の人」との戦いであった。
最初に出会った「正義の人」は、マルクス主義者たちであった。
その次に出会った「正義の人」が、フェミニストたちであった。(P142「アンチフェミニズム宣言」)

性は抑圧という機制を経由してはじめて実体化する。性制度とか性道徳とかいうものは、この抑圧の効果として出現したものである。だから本質的にはすべてが擬制である。しかるに、性的欲望というのは、この擬制としての性制度や性道徳に媒介されて(それへの服従として、それのパロディとして、あるいはそれへの反抗として)はじめて「かたち」をとる以外に表現の仕方を知らない。
性的欲望は性制度に媒介されて、事後的に「あたかも起源にそれがあったかのような」かたちをとるものである。
(P180「性的自由はありうるか?」)

<フェルマン、フロイトが「トラウマ」と呼び、レヴィナスが「語ること」「エニグム」と名づけたもの>
何かが言葉に命を与え、その代償として言葉の中で死ぬ。私たちはその「何か」に、生きたままのかたちでは決して触れることができない。それは消え失せることによって、はじめて「何かがあった」ことを事後的に回想させる「痕跡」だからだ。
おそらくそれこそが言葉の、あるいは「物語」の本来の機能なのだ。言葉は「そこになかったもの」を実定的に名指すことでそこに現出させる魔法ではない。そうではなくて「それは消え去った」ということによって、「そこになかった」何かを欠性的に指示する魔法なのだ。

「トラウマ/エニグム」は「厳密な意味では一度も経験されたことのない経験」、「一度として現在であることのない過去」、「場所であり非場所であるような主体性」、「いかなる起源よりもさらなる太古的な過去」といった逆説的な表現によってしか語られないのである。(P208「女が語ること」のトラウマ)

トラウマとは、「起源を偽る物語」である。「他人の物語」を起動させ、「偽りの記憶」として共同化し、それを通じて初めて「トラウマ」について語り、息絶え、癒される。

「審問する」を究極の同士とする言説は、私にはどうしても息苦しく感じられてならない。誰かを告発し、断罪し、弾劾するということは、そんなに素晴らしいことなのだろうか。(P223「正義と慈愛」)

私たちの「弱さ」は「より強いもの」(「父」「神」「絶対精神」「超在」「母なる超自我」)が先行する物語を要請する。そうやって事後的にもたらされた「起源についての物語」が、私たちの「弱さ」を説明し、それに根拠を与え、それを正当化し、それを免罪してくれるのだ。(P275『映画は死んだ』より「増殖する物語」引用)

物語を語るものはほとんど宿命的に自分の起源について嘘をつくということである。
嘘をつくこと、経歴を詐称すること、物語をそれと知らずに語ること、それは「何かを伝える」ための行為ではなく、何かを「知る」ための行為だからである。(P274[邪悪さについて」)

<レヴィナスについて>
レヴィナス先生は、「和解」を哲学の本義とする西洋形而上学の徹底的な批判者として登場し、「倫理」という古びた言葉に斬新な意味を与えた…。
人間は「物語なしには生きられない」という悲痛で平凡な真理に到達した。
必当然的明証性(決して疑い得ないこと)という「物語」をつくりだすという哲学の限界。
哲学の限界を乗り越えるためには、自分が「知の極限」において出会うものは、自分が創り出した幻影であるという経験的事実「から」出発すること。「知の極限」に「その先」はない。
「どこかに<真理>という終点があるはずだ」という儚い希望を完全に切り捨てた、深い、底なしの、終わりのない「物語」。(P278「物語について」)

「私」は「他者」に対して「党派的」だ。「私」が他者に向ける視線は、そのつどすでに「私」の分泌する情動性を帯びており、そのつどすでに「私」の予断によって歪められている。
他者は恐怖させ同時に誘惑する。他者は嫌悪の対象であり同時に渇望の対象である。他者は畏怖と憐憫、殺意と欲望を同時にかきたてる。
他者は上位者であるか、あるいは下位者であるり、決して私たちと同一の水準に立つことができない。
他者と私のあいだのこの非等格性・非対称性を、エマニュエル・レヴィナスは「顔」という独自の術語に託して説明した。(P284「越境・他者・言語」)

レヴィナスは「他者」とは「神」であると同時に「孤児、寡婦、異邦人」であると書く。
私たちは、あたかも神を仰ぎ見るかのように私たちの理解を絶した他者の言葉に聴き従い、あたかもよるべなき孤児や寡婦や異邦人をわが家に迎え入れるかのように、彼を受け入れ、いたわり、ねぎらい、守らなくてはならない。
20世紀の「他者性の思想」は、他者の効果を「愛」にではなく「審問」に求めた。
レヴィナスの他者性論を「審問」についてのみ語り、「愛」について触れないことが問題。哲学者たちは、「愛すること」よりも「告発すること」を好む。

「わがうちなる抑圧者を審問する」ことを論争的利器として最大限功利的に活用したジャン・ポール・サルトル
「私は自らの暴力性を審問しつつ弱者に共感する」、「私はわが自己同一性を引き裂きつつ異質なるものを受け容れる」という柔弱の語法で。
被差別者、被抑圧者、人種的少数派、障害者、あらゆる種類の社会的「弱者」をおのれの証人として召喚し、「彼らは<私の他者>である。彼らの現前は私が無反省的に<私>に安住していることを許さない」と宣言することによって、「自己審問者」はめでたく「改悛」を成就する。その特権的立場から、改悛をためらうすべての同類に対して苛烈な審問を行う権利を手に入れるのだ。(P288)

コミュニケーションの不可能な相手と、身をよじるようにしてなおコミュニケーションを試みる「私」のシステムのきしみから、「愛」は起動するのではあるまいか?他者との出会いの意味は、「私の理解を絶し、私の共感を拒む者」を「外部」に構想するという観想的な営みには尽くされず、そのような「外部」に向けて、いかなる保証者も準拠枠もないままに、なお身を投じる「私」の冒険的実践のうちにこそ求められるのではあるまいか?他者とのコミュニケーションの不可能性の覚知が、かえっていっそうコミュニケーションへの欲望を駆動するという逆説的な出来事を指すのではあるまいか? (P290)

「巡歴」と「越境」は違う。
破天荒な冒険を経て「故郷の島」に立ち戻るのは「巡歴」でしかない。
「越境」とは、「他者から到来する言葉」に聴従し、「家郷」を棄てること。
「私」の知見と「私」の感覚に激しく抵抗するものを「私の言葉」で引き受けることができるまでに、「私」の言語的容量を拡大してゆくこと。「私」のものではない文法と「私」のものではない語彙を用いて、なお「私の言葉」を語りうること。そのような言語の練磨を通じて間断なく「私」を立て、突き崩し、変容し、破壊し、創造すること。

<カミュ論「ためらいの倫理学」>
人間対人間、一対一の具体的な肉と骨のきしみの中で暴力の問題を考え、おのれの命を賭けることで自分が奪う他人の命を償おうとする、ある種の倫理性。(P327)

「真理の暴力性」や「正義の過剰な峻厳さ」に「なんだかいやな感じがしてたまらなくなる」人間の心の微妙な動きを、カミュは「反抗」という言葉に、あるいは「顔」という言葉に託している。(P320)

「殺すもの」と「殺されるもの」が最終的局面において顔と顔を見合わせるとき、そこには「殺すな」という訴えがあり、殺すことへの抑えがたい「ためらい」が生じる。それが暴力を「限界づける」のである。現代において、暴力を制御しうる可能性があるとすれば、それは信仰の問題でも階級社会の廃絶でもなく、この「ためらい」を思想の準位へと繰り込む知性の努力ではないか、カミュはおそらくそう問うているのである。(P334)

おのれが存在することの正当性を一瞬たりとも疑うことのない人間、「自分の外部にある悪と戦う」という話型によってしか正義を考想できない人間、それが「ペスト患者」である。私たちは存在しているだけで、すでに悪をなしている可能性がある。私たちがいきているだけで、すでに他者に害をなしている可能性がある。これがタルー(『ペスト』)の倫理の前提になる考え方である。(P342)

自らの死を代償に殺人を犯すムルソーと、殺すことを断念したタルー。「正義を求めるムルソー」と「赦しを求めるタルー」が、果てしのない対話を繰り広げていたはずである。(P344)



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