「ル・アーヴルの靴みがき」アキ・カウリスマキ

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この映画を善人ばかりが登場する現実離れしたとあり得ないおとぎ話だと笑うのは簡単だ。移民問題というきわめて現代的な問題を扱いながらもリアリティある深刻さがまるでない。人々は黒人の移民の少年の瞳に魅せられたように、ただただ彼を匿い、警察でさえも逃がしてしまう。そして夢のような「奇跡」が描かれるのだ。この映画での移民の黒人少年は、奇跡を起こすための天使なのか。われわれは、いつしかこのような奇跡など起きるわけがないと思うようになってしまった。目の前の利害をいつも追い求めているうちに。

フランス・ノルマンディー地方の大西洋に臨む港町ル・アーヴル。フィンランドのアキ・カウリスマキの『ラヴィ・ド・ボエーム』(91)に次ぐ2本目のフランス語映画だ。カウリスマキの役者たちは、いつものように無表情に、ただそこに立ち尽くすのみだ。

冒頭、靴みがきしているマルセル(アンドレ・ウィルム)の目の前で、客である男が銃に撃たれて殺される。画面にはその殺しの場面は描かれず、マルセルたちの視線と音だけで表現される。死が隣り合わせの殺伐とした現代社会がまず描かれ、それでも死ぬ前にお金を払ってくれたその客にマルセルは感謝する。黒人の移民少年が天使なら、この冒頭の殺された男は死神か?

靴みがきのマルセルの商売も厳しそうである。靴屋の前で仕事をしていると、邪魔だと追い払われ、日銭を稼ぐこともやっとだということがわかる。まるでチャップリンのような貧しく悲惨な生活だ。しかし、家に帰ると愛妻(カティ・オウティネン)が優しくマルセルを迎え、一日で稼いだわずかな金はカンの中に大切にしまわれるのだ。そして「食事ができるまで、食前酒でも飲んでいらっしゃい」と妻は夫に紙幣を1枚渡し、マルセルは愛犬とともに馴染みの酒場へと出かけるのだ。ささやかでつつましいけれど幸せな暮らし!愛する優しい妻がいて、愛犬もいる。近所の酒場やパン屋のおばちゃん、八百屋のおじちゃん。みんな、下町のようなマルセルの仲間であり、つながっているのだ。マルセルを監視し続ける警視モネ(ジャン・ピエール・ダルッサン)が、パイナップルを買わされて、酒場に手に持って現れる場面は笑える。

この映画の中で唯一の悪役は年老いたジャン=ピエール・レオだ。『大人は判ってくれない』の少年を演じたジャン=ピエール・レオは、ここでは移民の少年を警察に密告する男だ。この映画の人間の輪の中で、ただ一人の部外者なのだ。カウリスマキならではのユーモアだろう。

なぜマルセルがここまで移民の少年を助けるのか、何も描かれない。3000ユーロという大金を、少年のための用意することも普通なら考えられない。地元のロック歌手の慈善コンサートも、とってつけたような展開だ。登場人物たちの温かいつながりが少年を逃がすことに向っていく。暗黙の了解の下に。大事なのは視線なのだ。水の中に突然現れた黒人少年の目線。パン屋や酒場のおばさんたちの了解の目線。警視モネが黒人少年と見つめあったその視線交錯の間合い。そしてラスト、病院の先生のところに連れて行かれたときの愛妻との目線の会話。何も言葉が交わされなくても、了解しあえる関係。それを目線のカットバックなどではなく、どちらかのカメラに向けられた目線だけで、物語が進んでいく。そういえば、密告者ジャン=ピエール・レオは、誰とも目線を交わしてはない。

あり得ない善意、あり得ない協力、あり得ない無償の愛。あり得ない目線を交わすだけの暗黙の了解。ただ、そのあり得ないぬくもりの関係こそ、私たちがかつて持っていたものなのかもしれない。あり得ないと決めつける人には、ラストのような奇跡は決して起きないのだろう。

アキ・カウリスマキの根無し草のボヘミアン的登場人物たちは、これまで、どこか自由の地を夢見る傾向があったが、今回は少年を旅立たせることで、地元で近所の人々とともに貧しくとも暮らし、ともに死んでいくことを選んだのかもしれない。


原題:Le Havre
製作国:2011年フィンランド・フランス・ドイツ合作映画
配給:ユーロスペース
上映時間:93分
監督・脚本・プロデューサー:アキ・カウリスマキ
撮影: ティモ・サルミネン
キャスト:アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル、ジャン=ピエール・レオ

☆☆☆☆4
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