「ディア・ドクター」西川美和

まぎれもない今年の日本映画の秀作だ。

西川美和監督の前作『ゆれる』を観た時は、その心理描写の上手さ、兄弟の確執と葛藤の描き方にビックリしたけれど、この作品にも驚いた。正直、ニセ医者の話など、今までも見てきたような題材だし取り立てて斬新でもない。予告編を観れば、ストーリーはほとんど理解できる。そんなテーマであるのに、この映画的な豊かさは一体なんだ?このキャストたちの存在感はなんだ?驚きました。

冒頭からしてシビレました。

薄暗い山あいを走るバイクの小さな明かり。かぶさるようにハーモニカの音色。闇に浮かぶ白衣のうしろ姿。そして、その白衣が拾われた白衣であり、その男は医者ではなく、その白衣の主である医者(鶴瓶)は、失踪したことが村の大騒ぎで示される。

白衣を身に纏うことで誰でも医者になれるかのように、実体のない僻地の村のこの物語の主人公である医者が架空の存在として、冒頭で象徴的に示されるのだ。
ラスト近く、駅のホームで刑事と隣り合わせる失踪中のこの男。電車が走り去った後には、その姿が消えている。この物語の主人公である伊野治(鶴瓶)とは、実体のない嘘を演じ続けた誰かなのだ。僻地の村医者という役割を演じ続けた誰かなのだ。

映画とは誰もが知っているように嘘の物語である。嘘の物語に人々は感動し、共感する。そして、この僻地の村医者の伊野治もまた村人が求める物語の求めに応じて、嘘を演じ続けた男なのだ。彼は作意を持って、詐欺行為を意図して医者に成りすました訳ではない。「来たタマを打ち返し続けているうちに、ずるずると村にい続けてしまった男」なのだ。誰もがある役割を演じている。映画の中では勿論のこと、人生においても何かの役割を演じている。そう考えると、この伊野治とは、私たちそのものかもしれない。あるいは、この物語は映画そのものなのだ。人々の誤解や思い違いが積み重なったとは言え、倫理的にも許されない行為であるとは言え、誰もが伊野治になる可能性はあるのだ。誰もが周りの目を意識し、求められる物語に応えようと、役割を演じ、求められるものを果たそうとしているではないか。

人間がいかに曖昧でいい加減で、ある役割という虚構を演じているのかがわかる映画なのだ。若い研修医(瑛太)は、伊野治が村の人々にいかに役に立っているか、その医者の存在の大きさを熱く語る。それに対して、伊野治は鼻白んだように「そんなんじゃない」とつぶやく。彼は演じているだけなのだ。若い研修医の言動こそ、単なる夢物語に過ぎないことがよくわかる。ただ、村にい続け、演じ続けているだけの伊野治のほうが、遥かにリアルなのだ。

この映画は、音楽の使い方がとても秀逸だ。静かにこの田舎の騒動を見つめるように、音楽が使われている。そして、この物語の過去と現在を同時に進行させるこの構成も巧みだ。刑事が伊野治の実像を探る過程と、過去の伊野治の虚像が周りの人々に疑いとともに、あぶりだされていく過程がスリリングに交錯する。

そして何よりもこのキャスティングの素晴らしさに拍手だ。この役は鶴瓶でしかありえない。瑛太もとてもいい。特に素晴らしいのが余貴美子と八千草薫だ。あの気胸の空気を抜くためにニセ医者が針を刺すシーンのスリリングなこと!あの看護師は余貴美子でしかありえない。また香川照之もいつものようにズルイ男を演じているし、刑事役の松重豊も最近注目の役者で、いい味を出している。

この映画は、誰もが何かの役割を演じつつ、ある物語を生きていることを教えてくれるものであり、その物語で大切なものは、嘘だったりもするのだ。そして、真実とか存在の確かさへの問いは、いつでも宙吊りにされているのだ。

「あの先生だったら母をどのように死なせたのか、聞いてみたい」という医者である娘(井川遥)の問いは、私たちにとっても「何が幸福なのか」「どう生き、どう死ぬべきなのか」を考えさせる重い問いでもあるのだ。
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☆☆☆☆☆5

(テ)
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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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