「小さな男*静かな声」吉田篤弘(中公文庫)

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吉田篤弘の小説世界はささやかだけれど、僕にはとても好ましいものである。それは読む者を圧倒するような巨大な物語世界(例えば、ジョン・アーヴィングのような)とは正反対の隙間だらけの、余白だらけの小説なのである。解説で重松清が「読むのに時間がかかる」と書いているが、同じことである。ちょっと読んでは本を閉じ別のことを考え、ちょっと読んでは行間で立ち止まり、なんとなく横道に入ってしまうようなそんな物語なのだ。<間>がいっぱいある小説であり、削ぎ落とされた小説なのだ。だから読者は自由にこの「小さな男」と「静かな声」に自分を重ね、迷路に入り込み、散策し、水を飲み、自転車に乗り、友と語り合い、料理を作り、食事をし、眠り、夢を見て、また読み続けるのだ。それは、ささやかな日常そのものであり、そんなスローな小説なのだ。

主人公は二人。「小さな男」と「静かな声」の静香さんである。二人のささやかな日常の物語が一人称と三人称で書き分けながら、交互に繰返される。

「小さな男」は、デパートの百貨店に勤めながら自ら百科事典を執筆し、「百」に託された万物と付き合い戯れる。<ロンリー読書倶楽部>の読書会にも参加し、ミヤトウさんという静香さんのお友達の女性とも知り合う。そして、自転車に乗ることで「真実」を手に入れた男でもある。

「自転車というのは何よりも走るものなんです。自分が走らせているのではなく、自転車の方が勝手に走っている。そう感じる瞬間があるんです。そして、そのうち自分が走っているのか自転車が走っているのか見分けがつかなくなる。ひとつになってしまう。というより、そのとき、自分というものが消え、自転車というものが消える。そこにはただ風が――。」(P305)


百科事典の鎧を脱ぎ捨て、キリがないキリと対決すべく、キリがないほどの「ついて」を風に飛散させて「前へ――」と馳せ参じつつあるのだ。そう、「あらたまりつつある」男。

一方、「静かな声」の静香さんは、深夜に一人ラジオに向かって台本もないままにしゃべるラジオ・パーソナリティだ。「大きな声」ではなく「静かな声」であるところがいいのだ。誰ともなくつぶやくそのささやかな声が、深夜、遠く、誰ともない誰かにひっそりと届く。そんなイメージが吉田篤弘の小説世界にはある。それは<ロンリー読書倶楽部>の会員たちのように、あるいは静香さんが通う「支度中」という居酒屋の常連客たちのように、それぞれが孤独を抱えつつ、その<場>でささやかに触れ合う。その<場>とは、時には街の小さな食堂(つむじ風食堂)であったり、スープ屋さんだったり、月舟シネマという映画館だったりする。小さな灯火がどこかの街角で、あるいは深夜の電波に乗って、かすかに触れ合うのだ。

静香さんの弟は、詩集屋に来るお客さんの注文があると、自ら作った読書灯を自転車で届けに行く仕事をしている。それは、まるで街灯がまだガス燈だった時代に、ひとつひとつその灯をつけていった「点燈夫」のようだという文章がある。それは同じように静香さんの「静かな声」でもあるのだ。
弟は姉に言う。

だって、ちょうど寝静まる頃にさ、姉貴の声を聴くラジオのスイッチを入れるわけじゃない?あっちこっちでさ。ラジオってスイッチ入れると赤い小さなランプが灯ったりしない?暗い夜を過ごしている人たちにはそのラジオの小さな赤い灯が街灯みたいなもんじゃないの?だから、姉貴こそ点燈夫じゃないのかね。(中略)。詩っていうのは声なんだって。それも、彼が好きなのはただの声じゃなくて、静かな声だって言ってた。だから、彼にとって詩集というのは一冊一冊が静かな声を閉じ込めたもので、詩集屋っていうのは静かな声を売る店なんだと、そう言ってた。(P369)



そして、人生はつづいていく。

(ち)
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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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