「浮雲」成瀬巳喜男

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成瀬巳喜男監督作品をこれまでほとんど観ていなかった。成瀬作品はメロドラマというイメージがあり、小津、黒澤、溝口という日本映画の巨匠たちの作品に比べると印象が薄く、これまで観る機会がなかったのだ。しかし、成瀬作品に対する海外の評価は高く、いつか観なくては…という思いがずっとあった。そして、やっと観ることができた。

驚いた。すごい映画である。メロドラマはメロドラマだけど、究極のメロドラマだ。成瀬巳喜男の代表作を言われているだけのことはある。僕はこれほどまでに女性にモテるダメ男を描いた映画を知らない。多くの映画で「女性にモテるダメ男」というのは一つの男の定番キャラクターとして古今東西、何度も描かれている。女のヒモのような存在、自立性も社会性も経済力も活力もないダメ男…女に甘えて面倒を見てもらっているパターンはよく出てくる。しかし、その男のダメさ加減、弱さにこそ人間らしさを感じ、共感したりしてしまう。

成瀬巳喜男という監督は、この男の弱さもズルさを知りつくしている。そしてそんなダメ男を好きになり、面倒を見てしまう女のこともよくわかっている。男と女のもたれあう、どうしようもないドロドロの関係を知っているのだ。そんな男と女の関係、性に関して描いたメロドラマの傑作である。

僕のなかでは、男女の性の映画と言えば、ジャン=ジャック・ベネックスの『ベティ・ブルー』と神代辰巳の『赫い髪の女』が真っ先に思い出される。この『浮雲』は、そういった「男女のの激情」という類の映画ではないが、女に対する男の狡さという点では、この映画が一番かもしれない。それぐらいこの男・森雅之の甘いマスクと狡さは天下一品である。

焼け跡の東京。女・幸田ゆき子(高峰秀子)が男・富岡(森雅之)の家を訪ねていく。戦争中、仏印(仏領インドシナ=現在のベトナム)でいい仲になった男に会いに。焼け跡の混乱の中で男を待つ女の顔に過去の仏印の光に満ちた回想シーンが挿入される。若くて活力に満ちた女の表情とそんな輝きに魅せられる口の悪い二枚目の男。戦争中なのに南国の別世界で生き生きとした二人。再び、焼け跡の侘しいホテルの二人の場面。この過去と現在の二人の表情のギャップが効果的だ。男の妻の金歯を品がないと悪口を言う女。幸せな二人の過去の世界に止まっている女と対照的な疲れた男。「過去は終わった」とすっかり表情も変わり、「呑気だよ、女は…」と焼け跡の現実の生活にやつれた男は言う。この男と女の気持ちの擦れ違いが映画の全編を通してずっと描かれる。

アメリカ人の人としてバラックのようなところで暮らしている女に、男は無神経にも「幸せそうだね」などと言ったりする。そして「今夜泊まらせてくれる?営業妨害かな?」などと女の気持ちを逆なでするのだ。現実的で逞しく生きていく女と生活力がなく、見栄とプライドの裏返しの恨み言、憐みをかけてほしいとばかりに自嘲的につぶやく男。そんなダメ男に呆れつつ、去って行った男の後を未練がましく追いかける女。

そのあと千駄ヶ谷の駅前で男と会う女の表情が、嬉しそうなのだ。女は男に何度も裏切られ、男に呆れつつも、好きであることを止められない。二人で行く当てもなく歩き続ける。「何処へ行くの?私たち行くところがないみたいね」という台詞が象徴的だ。男はでまかせに「どこか遠くにでも行くか」と言って温泉地へと二人は旅に出る。どん詰まりの二人…。

この伊香保温泉のシーンも素晴らしい。死を切り出しつつも死ぬ勇気さえない情けない男。「もっと美人じゃなくちゃ、一緒に死ねない」などと冗談交じりに男は言う。そんな男が温泉街で知り合った男(加東大介)と年の離れた若妻・おせい(岡田茉莉子)との目配せのシーン。飲みながら男は若妻と視線が交わしあい、二人で温泉街の階段を昇り、一緒に風呂に入るのだ。その二人の関係を察知して涙する女。全く色男というものは、ちょっと前まで女と一緒に死ぬことを考えていても、次の瞬間で別の女と目配せをしているのだ。そんな一瞬のうちに通じ合う男と女の描き方が、なんともうまいのだ。この温泉街のシーンがセットだと聞いてまた驚いた。完璧なセットだ。年の離れた夫婦の距離と、行き詰まった男と女の距離が、微妙に絡み合うこの温泉街のシーンは、妙になまめかしく、男と女の微妙な関係が見事に対比されている名場面だ。繰り返される風呂場へと登る階段が効果的に使われている。

そして、いつしかその女・おせい(岡田茉莉子)は夫と別れ東京に出てきて、富岡(森雅之)と暮らしているのだ。アパートの前で子供たちが無邪気に遊ぶ場面と富岡とおせいが暮らす男女のドロドロの関係との対比。子供を身ごもり、その相談に来た女(高峰秀子)が線路沿いを夕暮れ時に男と歩く。この映画はこのように何度も二人が歩くシーンが繰り返される。さまざまなシチュエーション、気持にズレを感じながら、歩き続ける二人の道行き。当てもなく、死や子供の堕胎、過去の夢、そして未来のなさ…。

子供を堕ろした病院で女は、別れた夫におせいが殺された記事を新聞で見る。「おせいを殺したのはあなただ」といつも逃げてばかりいる男を罵る女。「僕が悪いんだ」と暗い表情をしてみせる男。女は初めて男に襲われた因縁のある義理の兄を訪ねる。新興宗教で人をだまして生きている義理の兄は成功者になっているのだ。この映画に登場する男は、そんなろくでもないダメな男ばかりなのだ。

そして妻が亡くなり、その葬式費用を借りに、男は女のもとを訪ねる。富岡という男は、どこまで都合がいいのか?それでも、そんな男のことが忘れられない女は、義理の兄の金を持ち逃げして、「来なかったら死ぬから」と電報を出し、旅館に男を呼び寄せる。女は男が忘れられない…。どれだけ男が逃げまくり、決断もできず、いい加減で、口先だけ優しくて、さまざまな女との関係を断ち切れないろくでもない男であろうとも。男は、女の人生を引き受けられない。そして屋久島へと逃げようとするが、女は「連れてって」と無理に同行する。地の果てのような屋久島への旅もまたせつなくてやりきれない。最後は雨が降り続ける屋久島で、女は病で果ててしまうのだ。

なんと暗い話であろうか。しかもドロドロしたメロドラマ。ラストまで女は幸せになれずに、死んでしまう。逃げ続けた男は、大事な人に死なれて初めてその大切さ、おしさを感じるのだ。全くどうしようもないダメ男。ただ、そのダメさ加減が妙に身につまされるのだ。あるよなぁ、人間って、こういうダメなところ。どうしようもないところ。それがこの映画にはあるのだ。登場人物を極力限定させ、密度の濃いメロドラマになっている。人を好きなるということは、どうしようもないことなのだ。そのどうしようもなさが、哀しい。



浮雲(1955) 

監督:成瀬巳喜男
原作:林芙美子『浮雲』
脚本:水木洋子
撮影:玉井正夫
音楽:斎藤一郎

出演:
高峰秀子 (幸田ゆき子)
森雅之 (富岡兼吾)
山形勲 (伊庭杉夫)
加東大介 (向井清吉)
岡田茉莉子 (向井の妻・おせい)

☆☆☆☆☆☆6
(ウ)
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ジャンル : 映画

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No title

こんにちは。
はじめまして。

他の映画のことを検索していて偶然たどり着きました。
私、いま沖縄住みなんですけれど、地元は札幌なんです。
札幌にいた頃はよく映画館に行っていました。
沖縄ではハリウッド映画の一択なので残念です。

「浮雲」は10代の頃から見続けている作品です。
原作も映画もそれぞれ好きな稀な作品です。
真珠玉のような美しさの岡田茉莉子の登場シーンにはノックアウトされました。
近年思うのは、やっぱり森雅之が巧いんですよね。

長々と失礼いたしました。
また、お邪魔させていただきます。

Re: No title

izumiさん。コメントありがとうございます。
またいつでも遊びにいらしてくださいませ。コメントもお待ちしております。

沖縄ですか。住むにはいいところですね。映画館は、ミニシアター系は観れないのですね。残念ですね。

成瀬の映画は、僕もそんなに見ていないのですが、この「浮雲」は本当に素晴らしい作品ですね。

プロフィール

Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

Author:Yasuo K  ( ヒデヨシ)
札幌でテレビの仕事をしている
オヤジです。
映画にまつわる雑文です。
2006年からの映画レビュー。
それから、本の感想を少し。


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