「僕たちが聖書について知りたかったこと」池澤夏樹

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聖書について、ユダヤ人問題について。ちゃんとキリスト教を勉強してこなかった僕は、いろいろ知りたくて宗教関連の本を読むのだが、やっぱり実感としてよくわからない。遠い砂漠の地で生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教。四季がめぐるモンスーン地帯で生まれたわれわれ日本人の感覚とは、やはり違うのか?神とは何か?エデンの園とは何か?永遠のいのちとは何かを考える。

聖書が数千年の時を越えて読まれ続けているのはなぜか。そのテキストとしての聖書の意味を、作家の池澤夏樹が、その父・福永武彦の母方の従弟でもある聖書学者の秋吉利雄に問いかける対談集だ。

あらゆる物語は、時代時代によってあとから作られ、語られてきたものである。聖書もまた時代の要請によって書き換えられてきた。永遠の変わらぬ真実があるわけではない。物語は作られ続けるのだ。そのことをあらためて教えてくれる本だ。

面白かったのは、ヘブライ語で書かれた聖書がギリシャ語に翻訳されるにあたって、誤訳や新たな解釈が付け加えられたという指摘だ。以下、内容のメモです。

<ヘブライ語からギリシャ語に翻訳され、時制が生まれた>
聖書は、今からおよそ2500年前、古代のイスラエル諸部族の間で語り継がれてきた物語やリストを広く集めて編集して、一巻のスクロールに書き写したものを出発点としている。『旧約聖書』の冒頭の5つの書、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)。ユダヤ教ではこれを律法(トーラー)と呼ぶ。

律法は口伝えられ、朗誦され、その聖性が維持された。もともとヘブライ語で書かれた聖書。古代ヘブライ語には過去形がないという。それを紀元前四世紀後半から始まるヘレニズム時代に、ヘレニズム世界の共通語としてのギリシャ語に翻訳する必要が生まれ、時制が生まれた。天地創造の出来事は過去形になり、過去から現在、そして未来へと時間に沿って物語が展開された。ギリシャ語のクロノス的な時間軸に編集され、進歩とか進展とか時間の序列ができた。新興キリスト教の時代になって、旧約・新約聖書という概念も生まれた。過去形がないヘブライ語では、天地創造は過去のことではなく、いまだ終わっていない。しかし、「初めに、神は天地を創造された」と過去形で翻訳され、時間意識が取り入れられたのだそうだ。「初めに」という訳語も問題だし、「創造された」ではなく「創造する」となるはずだと言うのだ。

古代ユダヤ人は多くの異説を並列して、全部受け取る価値観、融通性があった。しかし、ギリシャ人は、様々な矛盾を整理して、これが正しいと決めてしまう。そうやって、「続編」や「外典」が「正典」から外され、整理されてきた物語。対立や矛盾をそのまま並置して受け止める古代ユダヤ人と、強引に一つにするギリシャ・ローマ的な考え方に差があった。

カトリックでは、神父の前に聖書が置かれていて、信徒は神父が読むのを聞いているだけだったが、プロテスタントは、一人一人の信徒に聖書を読みなさいと言った。一人ひとりが聖書を読めるようになったことで解釈が次から次へと出てきて教義が千々に乱れることになる。

<エデンの園とは?>
キリスト教では、アダムの暮らしていたエデンの園をあまりにも理想の世界として考えすぎた。我々は苦しみから逃れてエデンの園に帰りたい。帰してくれる者は死に打ち勝ったキリスト以外にいない。この考えの根源は、ギリシャ語訳から生まれ、プラトンのイデア論から来ている。現世の方がむしろ仮の姿であって、本来の姿はエデンのイデアの世界であった。ギリシャ的二元論である。

ユダヤ教では、エデンの園について多種多様なラビたちの解釈がある。人間の世界は確かに苦しい、しかし、実際にあるのはエデンの園ではなくて、こちら側の現世の方だという考え。人間は死を引き込み、苦しみから、罪を犯し、死に向かいながら生きている。そういう土壌から、人間の生きる方法を考える実存主義的なものは、ユダヤ的背景からきている。

20世紀になってからキリスト教の神学者は、エデンの園にあった人間は「ドリーミング・イノセンス(夢見る無垢)」だと。罪を犯してしまい、死と直面しなくてはならない人間は、その前は夢見る無垢だから。エデンの園に帰ろうということではなく、キリストとの出会いにより、New Being(新しい存在)を生きよう、と言い出した。

<原罪とは?>
秋吉利雄によれば、「原罪」はキリスト教の用語で、ユダヤ教では原罪と言わない。「楽園追放」の原因となった「原罪」とは、強いて言えば、神の命令に背いたことではなく、生きるべく造られたにもかかわらず死を呼び込んだこと。知恵を得て、死を宿命づけられ、エデンを追われた人間。エデンならぬ現世では、死ぬ者として生きなければならない宿命こそが、原罪。罪の反対、罪からの解放は永遠に生きること。

蛇が誘惑してエバが「知恵の実」を食べて、それで神に見咎められ追放された。セックスを本能から切り離して快楽を仕掛けに作り直した。本来の種の保存としてのセックスの意味を見失った。その結果、人間は羞恥心を知り、他者を知り、恐れを知り、責任転嫁を知り、労働と出産の苦しみを知った。

<永遠のいのちについて>
ユダヤ教では、知識を得た代償は現実の苦しみ。いのちの木に到る道は、神に閉ざされている。彼らは現在の生を苦しみ、死を迎える。ユダヤ人は現実的な民族だから、限られた人生を生きるために、不浄な食事はせず、穢れたものとの接触を避け、最後の時まで人生を生きようとする。これが彼らの律法で、戒律とはあくまでも生きるためのもの。

キリスト教では、罪の報いが「死」であることはユダヤ教徒と同じでも、イエスの代償の死で罪は赦されている。永遠のいのちはすでに得られている。中間にある現世が抜けているように思う。そのあたりで、罪の混同、現世の悪と原罪との混同が起こった。「永遠」というのは、ユダヤ教的な無時間の考えが、キリスト教に流れ込んだもの。「永遠のいのち」は「来たるべきいのち」。いまは不幸でもいずれは幸せになれるという意味か。

<一神教という言い方について>
ユダヤ教は一神教だが、異民族がそれぞれの神を信じていることは承知の上で、自分たちの神はヤハウェだけというもの。部族的一神教。日本に入った時、多神教という神概念から出発して、多から一に収斂してつくられた言葉。砂漠の啓示宗教が言う全知全能の神は、抽象的なもの。具体化したら神ではなくなってしまう。一ではない。拡大された定冠詞。だけど、普通の信徒にすれば、とりつく島がない。だからキリスト教では、まずキリストを用意して、マリアを用意して、それでも足りないからたくさんの聖者を用意した。これらはすべて、神と人との仲介者。神様にお祈りしても、どうも手応えがないと思うとマリアにお祈りする。

<無時間の空間で対立するイスラエルとパレスチナ>
イスラエルとパレスチナの争いも、時間を超えて対決が無時間の空間で起こっている。モンスーン地帯には、時の流れを自然と任せ、暦がある。しかし、砂漠には暦がない。無時間の空間。

<ユダヤ教の選民意識>
バビロン捕囚を解かれ、律法を携えてイスラエルの地に持ち帰った新生ユダヤ教徒は、人々の前でこの律法を公布する。ところが、地元に残された人々、新約聖書で言う「地の民」は、その律法の文字が読めない。だから彼らは一段低い「第三市民」に位置付けられた。このことによって、律法の文字が読めるものだけが特別であるという選民意識、排他主義が生まれ、それがユダヤ教の特徴ともなっていった。

<ユダヤ教からキリスト教へ>
キリスト教がユダヤ教と決別して異邦人伝導に出て行くときに、まず飲食律の問題で、空から布にくるまれた、たべていいもの(清いもの)、いけないもの(穢れたもの)が混ぜこぜになったものが降ってきた。そのときペトロが、神がいいと言うのだからそれはいいんだと言う。これがちょうど異邦人コルネリオから招聘があったときに、ペトロはそういう幻を見せられて、新しい世界を許容しようとするキリスト教ができてきた。

だから豚を食べているローマ人のところに伝導しに行ってもいい。割礼なき者に対しても、パウロが「霊によって心を施された割礼こそ割礼」なのだと言う。
しかしユダヤ教は、新世界への伝導を考えていないし、考えようともしない。自分たちのアイデンティティを守ること、自分たちの純粋さを他からどうやって守るかということで、いろいろな戒律の垣根をめぐらしてきた。だからキリスト教は、習慣風俗を異にした人々が集まる都市型の宗教になり、世界宗教になったが、ユダヤ教は世界宗教にならなかった。

<ユダとユダヤについて>
イエスを裏切ったとして有名なユダも、ユダヤ人の間ではごく普通の名前で、同名異人の多くのユダが存在した。
そのことすら通じないところまでキリスト教が広がっていき、ユダの裏切りも、その名が由来するユダヤ民族一般と同一視されて、これがまず一つの他者から見るユダヤ人像になり、ユダヤ人=裏切り者という構図ができあがった。もし裏切ったのがほかの名前のユダヤ人、たとえば「男」「人間」を意味するアンデレだったとしたら、当然ユダは悪者になっていないわけで、ユダヤ教全体に対してここまで悪者扱いができたかどうか。つまり、ユダヤ人、ユダヤ教が他者的な存在になったから、あるいは他者とすることでキリスト教が浮かび上がってきた。
偶然の一致にすぎなかったユダとユダヤという名称の重なりが、そのままキリスト教徒のユダヤ人憎悪につながった。キリスト教の広がりのなかで、ユダという固有名詞を超えてユダヤ人集団と混同されたところに、ユダ個人と後のユダヤ民族の悲劇があったということ。


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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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