「1Q84」村上春樹
村上春樹『1Q84』で、用心棒タマルさんのエピソード。木の塊からネズミをひたすら彫って取り出す少年の話が好きだ。彼は、何をするのも遅くてみんなに馬鹿にされていたけれど、ネズミを彫ることだけはうまかった。
「ただね、そいつが脇目もふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景にひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明つかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明つけるために生きているという節がある。おれはそう考える」(BOOK2 P371)
「言葉では説明がつかない意味をもつ風景」、それが人生において、どれだけあるのか、それは人ぞれぞれだろう。僕にとって、どれだけそんな風景があるだろう。僕に何かを伝えようとしている風景。忘れていはいけないかけがえのない風景。人は、そんなかけがえのない風景の記憶を抱えながら生きていく。
殺人、セックス、DV、カルト教団という現代のあざといテーマを続々と登場させながら、ミステリー仕立てで、ぐいぐいと読者を引っ張っていく手管は流石である。サービス精神たっぷりの物語の吸引力だ。そして最後は、見事なラブストーリーだ。
世界がちょっとしたことで裂け目が現れる。グラリと1984年から1Q84年の奇妙な世界へと歪んでしまう。線路のポイントを切り替えるように。三軒茶屋の手前の首都高速の緊急避難用の非常階段を青豆が降りた瞬間から。そこは、別世界への入り口だった。月が2つある世界。
この小説の青豆が天吾の手を握る教室での一場面が、忘れられない風景となって二人の記憶に残る。そして二人の孤独な魂は、いつまでも引きつけあう。月が2つに見える世界に、二人は引き寄せられる。巨大な力を持つ作用と反作用。光と影の磁力に巻き込まれるように、二人の引力は引かれ合う。
暴力がなければ、強固な絆が生まれないことを哀しく青豆が思うシーンがある。暴力の作用と反作用が共同体を強固にする。助け合うために、戦うために、連帯し、外部の敵から結束の絆を強めて支えあう。宗教だってそうだし、暴力団だって、革命だって、戦争だって、愛もまたそうかもしれない。光と影は支えあっているのだ。善なるものは悪なるものを身にまとう。結局はそのバランスの均衡なのか・・・。だからこそ、王は殺される。バランスを保つために。
しかし、この世界がどんなに歪み、変質しようとも、それは想念の世界であり、絶対的なものではないのだ。人はその度ごとに、想念によって、新しく生まれ変わることがきるのだ。
「世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対の記憶との果てしない闘いなんだよ」
物語の扉に「It's Only a Paper Moon」の歌詞が引用されている。
「ここは見世物の世界。何から何までつくりもの でも私を信じてくれたなら すべてが本物になる」
この世界のリアルは、いったいなんなのか?さまざまな想念が渦巻き、その想念に巻き込まれ、ぶつかり合い、作用と反作用が生まれ、王は殺され、均衡が保たれ、想念の愛で人は救われる。
(い)
「ただね、そいつが脇目もふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景にひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明つかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明つけるために生きているという節がある。おれはそう考える」(BOOK2 P371)
「言葉では説明がつかない意味をもつ風景」、それが人生において、どれだけあるのか、それは人ぞれぞれだろう。僕にとって、どれだけそんな風景があるだろう。僕に何かを伝えようとしている風景。忘れていはいけないかけがえのない風景。人は、そんなかけがえのない風景の記憶を抱えながら生きていく。
殺人、セックス、DV、カルト教団という現代のあざといテーマを続々と登場させながら、ミステリー仕立てで、ぐいぐいと読者を引っ張っていく手管は流石である。サービス精神たっぷりの物語の吸引力だ。そして最後は、見事なラブストーリーだ。
世界がちょっとしたことで裂け目が現れる。グラリと1984年から1Q84年の奇妙な世界へと歪んでしまう。線路のポイントを切り替えるように。三軒茶屋の手前の首都高速の緊急避難用の非常階段を青豆が降りた瞬間から。そこは、別世界への入り口だった。月が2つある世界。
この小説の青豆が天吾の手を握る教室での一場面が、忘れられない風景となって二人の記憶に残る。そして二人の孤独な魂は、いつまでも引きつけあう。月が2つに見える世界に、二人は引き寄せられる。巨大な力を持つ作用と反作用。光と影の磁力に巻き込まれるように、二人の引力は引かれ合う。
暴力がなければ、強固な絆が生まれないことを哀しく青豆が思うシーンがある。暴力の作用と反作用が共同体を強固にする。助け合うために、戦うために、連帯し、外部の敵から結束の絆を強めて支えあう。宗教だってそうだし、暴力団だって、革命だって、戦争だって、愛もまたそうかもしれない。光と影は支えあっているのだ。善なるものは悪なるものを身にまとう。結局はそのバランスの均衡なのか・・・。だからこそ、王は殺される。バランスを保つために。
しかし、この世界がどんなに歪み、変質しようとも、それは想念の世界であり、絶対的なものではないのだ。人はその度ごとに、想念によって、新しく生まれ変わることがきるのだ。
「世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対の記憶との果てしない闘いなんだよ」
物語の扉に「It's Only a Paper Moon」の歌詞が引用されている。
「ここは見世物の世界。何から何までつくりもの でも私を信じてくれたなら すべてが本物になる」
この世界のリアルは、いったいなんなのか?さまざまな想念が渦巻き、その想念に巻き込まれ、ぶつかり合い、作用と反作用が生まれ、王は殺され、均衡が保たれ、想念の愛で人は救われる。
(い)
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