「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹

つくる

村上春樹の小説がウケる理由の一つに、主人公の青年の誠実さというのがあるような気がする。この多崎作くんは、まわりの色彩のある友人たちに比べて、自分の色さの無さ、空っぽさに悩んだりするのだけれど、基本的に村上春樹の小説の主人公はいつも誠実な無色の好青年だ。偽悪的でもなければ、自己欺瞞もない。自分の気持ちに真摯に向き合って、誠実に生きている。そして、無駄なことはせずに、とてもシンプルに生きようとしている。欲望が強く、暴力的だったり、自己を制御できないようなだらしないタイプでは決してない。そんな青年が、ある日突然、理不尽な出来事に巻き込まれていく。大きな暴力やシステム、不思議な力や存在、個人では抗えないような何かに自分のシンプルな生き方を否定され、妨害される。それがいつもの村上春樹の小説の基本構図だ。だから、読者はとても感情移入しやすいのだ。読んでいて、誰もが多崎作くんに、嫌な感じを持たない。どうしてそんな厄介なことになるんだと、その理不尽な謎に引っ張られて読み進める。それが物語の推進力。

ただ今回の小説は、ちょっと『ノルウェイの森』を思い出すような等身大の青春小説の趣きで、なんだか突然巻き込まれる理不尽な謎が、小さくて感傷的なのだ。いつもの飛躍がないというか、強烈な磁場の力で物語を引っ張っていくような推進力がないのだ。青春時代の5人の共同体の調和。シロ・クロ・アオ・アカ、そして色のないつくる。5本指のような必要にして十分な5人。その調和が、突然壊されるのだ。ある意味、よくある友情の喪失物語なのだ。色の記号的登場人物はポール・オースターの『幽霊たち』を想起させる。

村上春樹文学のもう一つの大きな特徴として、比喩表現やたとえ話がある。笑いを誘う突拍子もない比喩や、寓意めいた不思議で象徴的なモノや出来事。それらが何を意味するのか、読者が想像をめぐらすことになる。この小説でもいたるところに比喩が溢れている。「まるで~のように」「~みたいに」という比喩表現。

たとえば・・・

「死にかけた猫みたく、静かな暗いところに潜り込んで、その時が来るのを黙々と待っている。」(P94)
「大型犬の柔らかな鼻先を押すような手つきでそっと電話の内線ボタンを押した」(P179)
「そして指で膝がしらを不規則なリズムをとって叩いた。まるでモールス信号でどこかにメッセージを送るみたいに」(P203)
「まるで航行している船の甲板から、突然一人で夜の海に放り出されたみたいな気分だ」(P205)
「まるで洞窟の入り口を塞いでいる重い岩をどかせるみたいにおずおずと。」(P213)
「暗闇の中にある月の裏側のように」(P228)
「泳いでいるとものがよく考えられるんだ」沙羅は感心したように少し沈黙の間をおいた。「鮭みたいに」(P238)
「夜に活動する鳥が、どこかの無人の屋根裏に、昼間の安全な休息場所を求めるように。」(P245)
「人の心は夜の鳥なのだ。それは静かに何かを待ち受け、時が来れば一直線にそちらに向けて飛んでいく」(P260)


村上春樹がよく使うキーワードとして、「鳥」とか「夜の海」とか「泳ぐ」とか「月」とか「猫」「犬」などがある。「泳ぐ」ことは、「考えること」「生きること」と同じように使われるし、「森のなかの鳥」もまた、世界のなかで迷いながら飛ぶことの人生の喩えとして使われる。

この小説は「駅」が重要なキーワードだ。駅を作る仕事をしている多崎つくる君。「駅がなければ電車はそこに停まれない。…そして、大事な人を迎えることもできない」(P324)と、つくるはエリ(クロ)に言われる。「駅を思い浮かべ、具体的な色と形を与えるのだ」と。

さらに「六本の指」のエピソードが「別の世界から来た使者」のように象徴的に使われる。駅の遺失物として届けられたホルマリン漬けの指二本は、人の「六本目の指」だった。人間にとって五本の指が必要かつ十分な数なのに、余分な六本目の指。それは彼が夢のなかでピアノを弾き、楽譜めくりの女の指が六本あるというエピソードに引き継がれる。不安、不吉なもの。灰田の父親が会った緑川という「人間の色」が見える特殊な能力を持つ男がピアノを弾く時に、お守りだと言って持っていた布の袋。その中に、ひょっとしたらその六本目の指があったかもしれない…という想像につながる。

「六本目の指」とは何を表わすのか?この世ならざる力。5人の調和を乱す6番目の悪霊的存在。あるいは背中にとりついたもの。自身の闇である性夢、制御できない欲望が地下でシロの禍々しき現実とつながるように、どうにもならない理不尽な奇妙なこと。

また、つくるの左手につけられたタグ・ホイヤーもまた象徴的なモノとして描かれる。父親の形見の手巻きのねじの腕時計。過去から引き継がれたもの。

このように村上春樹の小説は、「喩え」に満ちている。それぞれの「喩え」がイメージを増幅し、モノたちが反応しあい、世界の広がりをつくっていく。そのイメージの連鎖には、音(音楽)もまた重要なキッカケとなる。

「林の中では親鳥が辛抱強く小鳥に啼き方を教え」、「小さなボートが波に揺られてかたかたという音を立て」、そして、ラザール・ベルマンの演奏する「巡礼の年」の音楽は、つくるにメッセージをもたらす。

「記憶は隠すことができても、歴史は変えることはできない」という沙羅の言葉。「深い森に迷い込んで、悪いこびとたちにつかまらないうちに」というエリの言葉。

「時の流れにすべてが消えてしまった」わけではないことを、過去への巡礼の旅を通して主人公のつくるは発見し、新たな色と形を与え、「大事な人を迎えられる」自分の駅をつくるという成長物語なのだ。

ただ、どこかいつもの村上春樹の小説と比べると、比喩のイメージの広がりがなく、スケール感が小さい印象がある。

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