「ハンナ・アーレント」マルガレーテ・フォン・トロッタ

アーレント

強い女性だ。「思考すること」をし続けた女性。感情の同調圧力に屈することなく、冷静に「悪」を考えた。彼女はイスラエルに住むユダヤ人の友に、「同胞を愛せないのか?」と聞かれ、「ユダヤ人を愛することはできない。私が愛するのは、身近な友たちや夫だけだ」と答える。ユダヤ人としてナチに殺されそうになったにも関わらず、彼女は冷静にアイヒマンというSSのナチ戦犯の裁判を傍聴し、「凡庸な悪」について思考する。

「思考すること」とは、あらゆるバイアスを取り除こうと努力しながら、客観的になろうとすることである。人間の思考には、必ずバイアスがかかる。民族、国家、ルサンチマン、感情、歴史、階級、宗教、男女、環境、親子関係、家族などあるゆるものが思考に影響を及ぼし、誰もが客観的ではいられない。「純粋客観」など有り得ない。神のみぞ知るだ。人の思考とは、とりあえずのものでしかなく、正義や法など、社会を効率よく運用するための、その時代が要請するとりあえずの規範でしかない。絶対の規範などありえない。ただ、思考すること、自分の考えやバイヤスを離れて客観的になろうとすることが、より意見や宗教などの価値観の違う人々、民族を理解することにつながるのだ。ハンナは、被害者であるユダヤ人というバイアスを越えて、ナチ戦犯のアイヒマンを理解しようとした。命令に従っただけの凡庸な役人に過ぎなかった男。思考しなかったことで、人類史上まれにみる凶悪な犯罪に荷担してしまったことを、彼女は見抜いた。「凡庸な悪」とは、思考停止状態で命令に従うことを言う。

もちろん、アイヒマンの超国家的犯罪が「凡庸な悪」という言葉で片付けられるべきではない。人類史上稀にみる凶悪な民族差別に加担した責任は、凡庸なレベルではない。多くの人々(特にユダヤ人国家であるイスラエルの人々)が、凶暴で残忍なナチ戦犯としてアイヒマンを処罰したがっていた。彼女もまた同じだろう。しかし、裁判を傍聴して実際のアイヒマンを見たハンナ・アーレントは、そのあまりの普通さに愕然とした。残忍なる悪の権化たる凶悪さ、怪物ぶりを彼に感じなかった。その官僚的な凡庸さに愕然としたのだろう。その驚きが、大きな波紋を呼ぶ表現になってしまった。処罰したいという民族感情を逆なでする冷静な表現になってしまったのだ。そのような時代の感情の同調圧力もまた怖いものだということをこの映画は示している。民族のルサンチマンを超えて、冷静であろうとすることに彼女は心を砕いた。

映画は、タバコを吸い続ける身振りにハンア・アーレントという女性を描こうとした。タバコを吸い、寝転がりながら思考し、夫と口づけを交わし、考え方が違っていても、友情や愛情を持つことができる冷静さを持つ女性。彼女にとって、意見が違っても、愛する友は友なのである。しかし、多くの人々は、感情が思考を優先させてしまう。ユダヤ人としての恨み、憎しみが思考を停止させてしまう。ユダヤ人は被害者であり、決して加害者であった悪に加担したユダヤ人は認められないのだ。タバコを吸う身振りは、彼女の生きるスタイルであり、冷静さを保とうとする小道具だったのかもしれない。自己防衛も含めた「自分」を保持するために、彼女はタバコを手放せなかったように思えてくる。


原題 Hannah Arendt
製作年 2012年
製作国 ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作
配給 セテラ・インターナショナル
上映時間 114分
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
製作:ベティーナ・ブロケンパー、ヨハネス・レキシン
脚本:マルガレーテ・フォン・トロッタ、パメラ・カッツ
撮影:カロリーヌ・シャンプティエ
美術:フォルカー・シェイファ
編集:ベッティナ・ベーラー
音楽:アンドレ・マーゲンターラー
キャスト:バルバラ・スコバ、アクセル・ミルベルク、ジャネット・マクティア、ユリア・イェンチ、ウルリッヒ・ノエテン、ミヒャエル・デーゲン

☆☆☆☆4
(ハ)
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Yasuo  K   ( ヒデヨシ)

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