「哲学の自然」 中沢新一 國分功一郎

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「3・11以降の時代に哲学が思考すべきこと」をめぐって中沢新一と國分功一郎の二人が「原発から先史の哲学」、「ハイデッガーと東洋の賢人」、「数学と旧石器時代の言語に共通する問題」、そして「民主主義と実践の問題」まで幅広く語り合う。「自然の贈与性」を切断しようとする原子力時代と資本主義に対置する新しい原理を取り出す試みとして「哲学の自然」があり、それは二人に共通する志向性のようだ。

中沢は「日本の大転換」という本の中で原子力技術を哲学的に論じている。「原子力技術と資本主義はそれぞれ、自然環境と社会環境の内部に「外部性」を埋め込み、自己完結的システムをつくり出そうとする点で同じ構造を持っている。そうして自己完結的システムが目指されるときに、「贈与」は故意に無視される、と。石炭には数億年前に地上にふりそそいだ太陽エネルギーが化石化されて取り込まれる。しかし、資本主義システムの中で人々は、太陽からの「贈与」の凝固体と考えずに、開発すべき資源であり、商品であり、生産において消費すべき資本の一部として扱った。原発はこの太陽エネルギーを「化石」という媒介を経ずに、直接資本制システムの内部でつくり出そうとした。「贈与」の次元をを完全に切断しようとしているのだ。

資本主義のシステムは、「贈与性」をそぎ落とした「交換人間」を前提としている。人間の贈与的な部分をすべてそぎ落としてしまえば、たしかに合理的な個人となるが、それでは人間という生物は成り立たない。

20世紀初頭に人間の頭の中に芽生えてしまった「贈与の次元を切りたい」という衝動は様々な分野で発見できる。その一つが新自由主義だ。

「最大の贈与者」である太陽の存在。それを処理するためにいろいろな宗教がつくられてきたわけだし、芸術の起源もそこにある。この「贈与」の次元を断ち切って、人間が自律性を獲得したいという欲望を持ったときに、「太陽をいかに隠蔽するか」が世界挙げてのテーマになった。

ハイデッガーは「思惟」には「感謝」が含まれているというようなことを言っている。「存在」とは「それが与える=贈与する(Es gibit)」ものだと同時に「感謝」というテーマを出している。
中沢は語る。

資本主義から原発に至るものの背後にある思考形態は、空間をどこまでも拡大していく、あるいは商品の形をとった富を無限に増殖し、無限に消費できるんだという「離散無限」的な考え方です。別の言い方をすれば「自己増殖オートマン」的な考え方です。最終的には、人間の生命もそういうものだと言いたいのだと思います。しかし、その思考法は決して最適解をもたらしません。いまや3・11以降の日本人がどちらの方向を目指さなければいけないのかは明らかです。私たちはこの列島の中で、人間と自然の最適解を目指していこうとするはじめての現代的人類になろう。僕が『日本の大転換』で考えているのはそういうことです。


「原発に対置する新しい原理を取り出す」こと。原子力発電の問題をもっとも深く思考していた現代哲学者はハイデッガーだった。
プラトンは彼岸に「イデア」というものを立てて、「イデアこそ真の実在であり、現実世界はその似姿に過ぎない」と言うわけだが、ハイデッガーはこの主張を批判する。自然がイデアを具現化するための単なる「素材」になってしまう。自然をそのような素材と見なすと、結局は「人間が自然をどう使ってもいい」という話になる。そうした人間中心的な自然観を、ハイデッガーは「製作的自然観」と呼んで批判した。ハイデッガーはソクラテス以前の哲学者たち「イオニア自然哲学」に強い関心を持っていた。フェシス(自然)という言葉の語源である「フュエスタイ」には、「生える」「成長する」「萌えいずる」と言う意味があった。つまり「フェシス(自然)」は、己のうちに生成する原理を備えており、それによって自ら「運動」するものとしてとらえられている。

「自然」が内在的な運動の力を持っているように、大理石の塊はヘルメス像になる力を持っている。彫刻家の仕事はその力を手助けすることであり、それによってヘルメス像が生成する。「技術(テクネー)」とはこの助力のこと。ところが思い上がった「現代技術」は、自然を「挑発する」ものになってしまった。ハイデッガーは、現代を「原子力時代」と名指ししながら同時に、自然観の変容を明らかにすべく古代ギリシアまで遡った。

「フュシスの中にいるしかないし、フュシスは無限だから外部はない」。自然の中にいる私たちにも外部はない。自然のなかで人間がどうやって生きるかを考えるべきだということになる。

旧人類から新人類に至る過程で、大脳の内部のニューロンの構造に革命的な変化が起きた。お互いの小部屋の中に連絡通路(ネットワーク)が開かれ、異なったものをお互いに結び付ける能力――つまり「喩」の構造、アナロジーの構造――が芽生えた。洞窟の中で発生した音楽。一オクターブ違う音が、「同じ」だと発見し、五音ズレているけれど、体系の中では「同一」のもの、この「差異」と「同一性」を同時に見る「喩」の能力がなければ音楽の快感は生まれない。言語芸術でも「なぞなそ」が最も古いもの。なぞなぞを唱えるのは、人が死んだとき、通夜のときだった。二つの意味領域をくっつけるということは「同じだけど違う」という差異と同一性を発見する能力に基づいている。

孤島のネットワーク。島は「閉じて開く」という状態。連絡船がやってくると開くが、それが去っていくとまた閉じる。外からやってくるものを歓待して送り出す「祝島モジュール」。祝島が上関原発に反対し続けることが出来たのは、橋のない周辺から切断された場所だったから。開いて閉じて、閉じてと開くという経済システムをたくさんつくって、それをネットワークでつないでいくこと。これを自分が生きている間に少しでも実現させていきたい、と中沢新一は語る。

中沢:日本は「閉じて開く」「開いて閉じる」という島的な世界の構築にすごく向いた文化風土だ。日本の中で形成されたものの考え方というのは、大変に自然哲学的で、ヨーロッパの形而上学とは違うベースが日常生活の中に根付いている。ですから、そこを出発点にすればいい。
國分:僕が大学生だった1990年代後半には、「とにかく閉じられているものはいけない。開かれているのがいい」というイデオロギーがものすごく強かった。それが、新自由主義的思想の下地になってしまった。でも、「なんでも開けばいい」というのはあまりにも安易。これは「共同体/市場」という粗雑な対立を疑わない単純な思考だった。


國分:お金を払ってサービスを受けても、「あの人からしてもらったから」という価値が必ず結びついている。本当は贈与的なものが社会の中でたくさん蠢いている。でも近代経済学では、それを無理やり「去勢」した気になって、モノと人格を徹底的に分離してしまう。すべてを交換的なものに切り詰めて考えてしまう。でもそれは現実の中のほんの一部しか見ていない。贈与という視点は、「昔あった贈与の世界を復活させる」とかいうことではない。むしろいま現実で起こっていることを発見するための概念が贈与だと思う。

中沢:この社会の中でありとあらゆるところで、贈与的な原理は発生していて、それがかろうじて我々の社会を糊でつないでいる。ところが、新自由主義はこれを切り離して、いかに交換のシステムに組み込んでいくかを考える。これは合理主義の極限だ。贈与は交換と違って計算不可能なものだが、それがいたるところを満たしているから世界は成り立っている。


資本主義から原発的なものに至る、その背後にある思考形態は、延々と膨張していくことをやめない「自己増殖オートマン」的な構造、「離散無限」的な考え。そうした思考は決して最適解にたどり着くことはない。それに対して、コホモロジー的な思考は、最適解をもたらす。コホモロジーの考え方を採ると世界は有限個に閉じる。(数学者の加藤五郎の『コホモロジーのこころ』)。混沌とした存在の中にあるaとb。一見すると異なるが、共通して本質的に同じである構造を発見し、構造内の緒法則を解明する分野。コホモロジーは「喩」の構造を数学的に取り扱おうとするもの。

「自然との調和」などと観念的に言うのは大問題。「自然」というのは、あくまでも人間の頭の中で抽象化してそういっているだけ。実際にあるのは、具体的な動物とか、植物とかの個物。そういったものと人間がコミュニケ―ションする、ということの総体をとりあえず「自然」と言っているだけ。「自然」という概念が最初からあって、これを大事にしようという話ではない。

かつてマルクス主義運動は、地域や人や動物がいるという具体的な場所をすべて捨象して、一足飛びにインターナショナリズムへと向かってしまった。その捨象された場所、地方を権力の磁場にしたのが自民党。しかし左翼側は抽象的観念論で立ち向かうから、闘いにならない。
かつてのマルクス主義者たちは、個と世界を短絡的につないでしまった。個の問題から一気に人類の問題に飛んでしまう。本当はその間に共同体とか国とか、地域とかあるはず。人類という「類」と「個」をつなぐために、「種」がないといけない。(田邊元の「種の理論」)

今日国家を解体し、共同体を解体し、地域を解体していくということを実際に進めているのはグローバリゼーション。グローバル資本主義が現に行っていることと左翼インターナショナリズムが理念の中で行っていたことが、だんだんと近づいてしまう。種に立脚し民主主義は、左翼のモデルにはうまく当てはまらない。

「メルロ・ポンティのセザンヌ論」(「セザンヌの疑惑」)
認識と言われるものは実はいろんなものを捨象したときに初めて成り立つ。その捨象された情報の組み合わせの上に分類的世界がつくられるが、画家の目はそれとは逆に今自分が見ている世界を捨象しない方向に向かう。捨象して分類し、体系化するときにそぎ落とされてしまっている、豊饒な世界を取り戻すこと。メルロ・ポンティはそれを直観という言葉でとらえようとした。常識や観念がつくっている抽象化の世界が一番上にあり、下層が感覚器官。そして下層から上層に至るまでに様々なものが捨象されていく。そのプロセスを反対方向に戻していくという運動を直観知と考えた。

「民意」というものは、本来人々の中に抱え込まれている複雑な事象が捨象され、抽象的な数に変えられてしまったもの。そうして形成された世論がすべての方向性を決めていくというのが、いまの民主主義のシステム。そういうものを現象学的にいったん括弧に入れて、疑っていくことが大切で、本当はその間に捨てられていくもの、見えなくなっているものがたくさんある。それを取り戻していくことが僕たちの実践的な課題だ、と中沢新一は語る。


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