「現代の超克」中島岳志、若松英輔(ミシマ社)

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副題に「本当の『読む』を取り戻す」とある。この対談本は、1942年、大東亜戦争勃発の7か月後の7月に収録され、『文學界』の九月号、十月号に連載された『近代の超克』を「読み直す」というものである。『近代の超克』とは、当時の知的エリートたちが、戦争賛美、大東亜戦争の意味づけを行った悪しき座談会という文脈で批判的に語られてきた。それを中島岳志、若松英輔が、神の問題、霊性、科学や歴史の問題という、日本人が近代に置きざりにしてきてしまったものを、もう一度読み解くことで、震災後の日本、原発の問題やIPS細胞の技術など現代の様々な問題とつながってくるという試みである。

そのために二人はまず、柳宗悦の『南無阿弥陀仏』と『美の法門』を通して「美」の問題を読み、ガンディーの『獄中からの手紙』を通して「政治」の問題を、「死者の問題」を小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』を「読み」、対話を重ねる。そして、最後に『近代の超克』を読み誤った事でこうむった知的損失を回復すべく、新たに読み直し、『現代の超克』につながるのではないかと二人は議論を進める。

空虚な物質社会としての「近代」を超克すべく、当時の知識人たちが日本的霊性について、宗教性について語り合った。そこに大東亜共栄圏への危険な道筋があったとしても、今なお私たちは、西欧的近代のことも古来の日本的霊性のこともちゃんと向き合っていないし、何もわかっていない。曖昧なまま、取り入れ、忘れ、深く考えずにやり過ごしているだけである。

印象の残ったのは、超越的絶対者(神、存在、霊性、絶対他力)を感じ、それを表現してもちゃんと語りえないのが宗教であり、その不完全なる言葉で語られる宗教は、人間と同じように不完全なるものであるということ。絶対的な一つの価値観、一つの「正義」、一つの宗教ではなく、さまざまな宗教を許容する可能性がその考え方にあるのかもしれない。山の頂上に上りつめるための様々な道としての様々な宗教。超越的絶対者が一つでも、その顕われはさまざまな形である。魂(霊)はあらゆるものに遍在する。人間が主体的に「私」を所有しているのではなく、器としての「私」という考え方。そして、死者たちちとともにある叡智や伝統、そして歴史をつねに現在のものとして考え、読み直すこと。不完全なる私たち人間が驕らずに世界を受け止めること、そこからしかさまざまな問題と向き合えないのかもしれない。

(以下は気になった部分の引用や個人的読書メモです。レビューになっていません。)

第一章 民衆と美
念仏は「往生を得るための方便」でもないし、念仏によって往生できるというのも間違い。念仏は自己の計らいではなく、阿弥陀仏の計らいであり、絶対他力の働き。つまり自己の主体的な意志によるものではない。私が念仏を唱えるのではなく、絶対他力が私をして念仏を唱えせしめている。私は他力に導かれて、念仏を唱える。(中島)

人と人がつながるのは喜びを通してではなく悲しみを通して。(若松)

「無縁」は「無縁社会」というような「縁が無い」というネガティブなものではなく、「無限の縁」というポジティブなもの。
網野善彦の『無縁・公界・楽』によると、地縁、血縁の中でがんじがらめになって苦しんでいた人たちが、お寺のような空間に行くと、限定された縁から解放される。そこは、「無限の縁」とつながる場所。網野はこれを「中世的アジール」と捉えた。
「縁」の働きによって「私」は変化し続けながら、「私という現象」を生きている。「無縁」というのは、限定された「有縁」を超えた「無限の縁」の中に自己を置くこと。そうすることで、私は世界に開かれ、新しい可能性の中に生きる。そして、「無縁」に開かれた私は、仏の「大悲」に包まれる。
柳は「絆」をネガティブに使っている。「絆」とはもともと「家畜を縛っておく縄」のこと。「絆」は強いつながりを結んだ重要な関係だが、一方でとても息苦しい。同調圧力も働くしがらみの世界。震災以降、「絆」が繰り返し語られるが、「絆」も大切だが、「縁」の概念を生かしたほうがいい。「無縁のすすめ」だ。(中島)

「私」が何かを見る、という地平を超えること。「私」が何かを見るのではなく、何ものかによって「私」が充たされるのが念仏だ、と柳は言う。水平軸としての「民」だけではなく、垂直軸としての「民」。「民」である生者はいつも死者とともにいる。大本教が力を持ったのは、死者は「生きている」という考え方。死者とともにある「民」の力をコトバでつなげとめることが必要。(若松)

柳が言う「美」とは、美醜を超えたもの。真とは、自分が正しい、相手は間違っている、ということ。真と善は争いを生むが、美は沈黙を生む。この花は美しい、と言っても争いは生まない。美には言語を超えた精神の働きを惹き起こす力がある。
人間が、自分の力で何かをしようというところから離れなければ美は顕わにならない。美の無名性。(若松)

普通に常識がいう美しさは、美醜が二つに分かれて以後のものである。だが二つに未だ分かれない以前の美をこそ訪ねねばならない(柳宗悦『美の法門』)。
多元主義的な一元論。多一的な有機体論が、全体主義に転換される。戦前の東洋的な宗教思想が陥った罠。日本人は言語的・文化的な連続性が強いため、美や言葉によって宗教的なものが共有されやすい。和歌だけで宗教的感性が共有される。八紘一宇のユートピア幻想に対峙するには、人間が不完全であるからこそ、仏の計らいによって救われることを忘れないこと。人間が人間の意志によって世界をユートピア化できるわけがない。(中島)

保守の論理では、不完全な人間がつくる世界は過去も現在も未来も、永遠に不完全。人間の理性には決定的な誤謬が存在し、能力には限界がある。だから、個別的な裸の理性に依拠するのではなく、歴史の風雪に耐えてきた経験的集合知や常識、伝統に依拠しながら、漸進的に改革していく姿勢が重視される。(中島)

念仏を唱える主体性も消滅する。「我なし、故に我あり」という宗教思想を、柳はアジアの中で位置づけようとした。個人は弱く脆いが、伝統は「大きな安全な船」であり、「仏の計らい」が隠されている。(中島)

第二章 近代と政治
ダルマを果たせ。トポスを生きよ。
それぞれはぞれぞれの場において、トポス=「自分に意味が与えられた場所」があり、そこでダルマ=「役割」を果たすことで、全体とつながる、。その役割原理が自己のアイデンティティとつながっている。

真理なるものを有限なる言語によって語ることはできない。私たちは真理の影しか表現することが出来ない。真理は唯一であり、全体的な存在だが、その真理に至る道が相対的な宗教だ。人間の不完全性、不完全なる人間が構成する社会も不完全なものであり、個別的な宗教もまた不完全な存在だ。(中島)

「不二一元論(アドヴァイタ)」とは、異なる様々な現象はすべて一なるもの、「不二」なるものがさまざまなもにに自己展開していると考える世界観。「神」は唯一なるものとそれぞれの宗教が語るが、一なるものであるはずの「神」がいくつもの異なる姿で語られる。一なる神が、複数の、無尽の顕われを有する。これが東洋哲学の存在論。ガンディーが「霊」と呼ぶ超越的絶対者を、13世紀イスラム神秘哲学の祖イブン・アラビーは「存在」と呼ぶ。「花が存在する」のではなく、「『存在』が花する」、「存在」が、石する、川する、私する。万物が「存在」の顕われだ。「霊魂」が肉体をあらしめている。霊魂は遍在する。(若松)

親鸞の「悪人正機」。人間は存在自体の中にどうしようもない悪を抱え込んでいる。その悪に自覚的になることで自己の計らいを超えた他力に身をゆだねることが出来る。「悪人正機」とは、自分が「悪人」でしかありえないことを自覚することで、自力への過信を相対化する作法。自力を超えた存在に謙虚になること、ガンディーと親鸞は、つながっている。(中島)

人間に「真理」はやどる。ガンディーは、自分が真理を語るとは言わない。真理が人間を通り過ぎる。真理が顕われる場になる。それは詩人にコトバが宿ること、画家たちは「色」が自分を通り過ぎると言い、彫刻家は自分が造型するのではなく、存在の深みからかたりが浮かび上がってくると言うのと同じ。(若松)

「私たち自身ですら神のもの」であり、わたしはわたしを所有していない。私は器であり、私が所有していると思い込んでいるものは、いのちも言葉も思考も「わたしという器」に宿っているもの。人間は「計らい」ももっていない。すべては「神の計らい」で、人間は「自分のあるべき位置がわかりさえすれば」いい。
この「器としての自己」を受け入れると、「わたしであることの執着」から解き放たれる。わたしは一つの現象です。そして、可変的な存在です。自分探しとは、「わたしがわたしを所有している」と思っている肥大化した欲望。わたしが命を所有しているのではなく、命がわたしを所有している。(中島)

第四章 近代の問い
近代は、全体性、宗教性を見失った時代であり、宗教的全体性を回復することが「近代の超克」であるというポイント。
京都学派である西谷啓治は、近代西洋は、神から切り離された世俗世界を抱きしめ、空虚な物質社会を拡大させた。西洋の神と人間の断絶という二元論こそが問題であり、一元的な主体的な無という東洋思想こそが「近代の超克」の中核になるという議論。
吉満義彦は、普遍的統一原理をどう再現するのか。東洋の無の立場と言っても超越的なものを前提にしていると反論。
「近代の超克」とは、「再び神を見い出し霊性の立場で文化を秩序づけていく」ことだと吉満は語る。
さらに林房雄は、ヨーロッパを完全否定し、日本の古代に回帰すればいいと、和歌を通じて「やまとこころ」を取り戻し、蘇らせていく透明な共同体をつくっていき、その中心に天皇がいると近代を全否定する。

一元論的な「自然に回帰せよ」とか「自然との一体性を取り戻せ」といった文脈が多い。これが西洋的な二元論を乗り越えるポイントだと語られることが多い。一元的な無の立場は、どうしても超越的な垂直の軸が雲散霧消してしまう恐ろしさがある。人間は絶対的存在との関係性における垂直軸と、社会的関係性における水平軸の交点に存在する。日本思想はどうしても、「日本人は感覚的にわかるだろう」というスピリチュアリティに依存しがちであり、共有する心象風景に安住しがちだ。どうしても垂直的認識が欠落し、日本的美の中に、心でつながった透明な共同体を構成しようとする。「美しい日本」のようなスローガンに還元されてしまうと、グロテスクなナショナリズムに早変わりしてしまう危険性がある。(中島)

「近代の超克」論に欠落している霊性論は、眼前の他者にいかに超越の顕現を見るかという親鸞的な問い。親鸞は、阿弥陀仏という超越者はいつも人々の中に生きている、民の集まりに偏在すると語った。知識人ではない市井の人々の日常の問題が論じられていない。
言葉は、いつも十分には語りえない。人間はつねに誤まりえる者であり、言語によって語ることの不可能性。

座談会に集まった一三人のなかで吉満義彦が誰よりも主体的に「近代」を考えていく。
この座談会では、歴史だけでなく、さまざまな側面から実在に接近しようとした。美、伝統、言葉、霊あるいは霊性、真理。しかし、問題が提起されたまま、十分に深まらないままで終わってしまった。しかし、それを批判するだけでなく、創造的に継承し、深化させること。近代科学の「正確さ」「正しさ」は、哲学における「正しさ」と必ずしも一致しない。世界はこの相克と矛盾の中で起こっている、と吉満は訴える。(若松)

柳宗悦が語る民衆世界における他力の観念を、いかに「近代の超克」に議論と接続させていくのか、という視点が、座談会には欠落している。
『近代の超克』の未完の可能性を読むことは、現代と向き合うこと。私たちは過去の死者と交わりながら、歴史を遡行しながら、前に向かって進んでいかなければならない。(中島)


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