「愛について語るときに我々の語ること」レイモンド・カーヴァー/村上春樹訳

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レイモンド・カーヴァーの小説は、ダメ人間たちばかりが登場する。アメリカの郊外などに住むリアルな人々のどうにもならない日常の一断面を鮮やかに切り取る小説が多い。いつも酒を飲んでアル中気味だったり、妻に逃げられた夫、夫婦の諍いなど、なぜだかうまくいかなくなってしまった人々。酒と暴力と性。粗野でがさつで自分勝手で、何か取り返しのつかないことをしでかしてしまい、大事なものを失ってしまったしまった愚かさを描いている。しかし、それは誰にでもあることである。大なり小なり誰もが陥る落とし穴であり、だからこそ共感できて、哀しくせつない。

この表題になっている短編「愛について…」は、男女2組の酒飲み話だ。友人メルの現在の妻テリは、かつて付き合っていた男が私を殺そうとした暴力男だったことを語る。しかし、それでも彼には「愛があった」と。「そんなの愛じゃない」と今の夫であるメルが妻の過去の男の自分勝手な愛を否定する。そんな愛のあり方をめぐっての男女の言い争いだ。そして心臓専門医であるメルは、酔っぱらいながら、最後に交通事故にあった老夫婦の愛のエピソードを語る。手術を繰り返し、やっとのことで一命を取り留めた老夫婦。ギブスと包帯で包まれた爺さんは、自分の身体の状態のことより、包帯の目の穴から「古女房の顔が拝めないことが胸が張り裂けるほど辛い」と話すのだった。さまざまな愛のあり方がある…。

『ダンスしないか?』という短編は、妻に逃げられたのか、何らかの事情で家で一人になった男は、庭にベッドやタンスやテレビやレコード・プレイヤーなど家財道具一式を並べて売ろうとする。そこへやってきた若いカップルと酒を飲み、庭でダンスをするだけの話だ。説明が少なく省略され、どういう事情かは示されないが、それだけに男の孤独さが想像される見事な短編だ。

今ではもうダメになってしまったカップルが、昔の思い出のドライブのことを語り、古い一軒の農家で水を一杯もらい、裏のガゼボ(あずまや)で、「わたしたちも年をとったら、こんな風になるんだわ」と思う『ガゼボ』という短編も同じように失ってしまった大切なものをめぐる物語だ。「落ち着きを身につけ、しかるべき場所に住んで。そしてみんなが家をたずねてやってくるの」。そんなあたりまえの未来を思い描いていたのに、そんな風にはならず、二人で管理していたモーテルは荒んでしまい、妻はネヴァダで出ていこうとしている。「私の中で何かが死んでしまったのよ」「それには長い時間がかかったわ。でもとにかく死んでしまったのよ。あなたが何かを殺したのよ。まるで斧をふりおろすみたいに。今では何もかもが汚れてしまった」・・・。うまくいかなくなった現在、その虚脱感。日常のすさみ方や汚れ方。情け容赦のない時間の経過が、なんともせつない。

『私にはどんな小さなものも見えた』は、深夜に木戸の音で目覚めた妻が庭に出て、隣人の男と話をする。その男は、かつて夫とも親しくしていたが、仲違いをして今では疎遠になり、新しい奥さんをもらってからほとんど会話もしなくなっていた。その隣人が深夜に「なめくじ」を退治しているのだ。「気色悪いやつらだよ」と言いながら、なめくじにクレンザーをかけ壺に集めている男。そして、仕事を辞めたこと、家庭がうまくいっていないこと、そしてまた夫とも友達になりたいと思っていることなどの話を聞く。深夜の隣人との奇妙な会話。ちょっと歪な日常の一断面が身につまされるのだ。

『風呂』は、他の短編集『大聖堂』に所収の『ささやかだけれど、役に立つこと』の別バージョンだ。パン屋にバースデーケーキを注文した息子が誕生日に交通事故にあってしまう夫婦の物語。こちらのバージョンはパン屋が何度も電話をかけてくるだけであり、夫婦の物語が中心だ。

レイモンド・カーヴァーは人間の邪な欲望や悪意をちゃんと描く。『菓子袋』は、過去の父親の性的欲望に関するエピソードを息子が空港で聞く話しだし、『出かけるって女たちに言ってくるよ』は、夫たちが身勝手に自らの欲望のままに、自転車に乗っている女の子たちをナンパし、追いつめる話で、ラストの淡々とした暴力行為の描写が辛辣だ。『デニムのあとで』は、地域のコミュニケーションセンターで週末、カジノゲームに夫婦で出かけるのだが、いつもの自分たちの場所に座っている若いカップルがとにかく気に入らない。いい加減でズルもしているチャラチャラした若いカップルへの呪詛。自分たちだけになぜこう悪いことばかり起こるのかという誰にでもある恨みが鮮やかに描かれる。

『私の父が死んだ三番めの原因」はダミーという耳に障害を持つ男が、魚のバスに魅せられておかしくなってしまった物語。自分の家の前の池にバスの幼魚を放し養殖を始める。そして、人間関係を断ってまで魚を独占し、最後は妻を殺して自殺してしまうのだが、その魚の具体性が何とも鮮やかに印象に残る。『静けさ』は、田舎町の床屋でのちょっとした鹿猟のことでの男たちの口喧嘩を描いた短編だが、そのシチュエーションがとてもリアルで具体的だ。そのほか、夫婦が喧嘩して、ダメ夫が家を出ていく短編がいつくかある。

レイモンド・カーヴァーは、自らの人生でも妻や子どもたちとの不和に悩み、急性アルコール中毒のため4度も入院を繰り返したらしい。その後、アルコールを断ち、精神的にも立ち直り、作家として成功していったそうだ。つまり彼の小説の登場人物たちは、彼自身の身のまわりで起きたことにかなり近いものだったのだろう。それだけにリアリティがあり、それを省略法を使いながら、物語を削ぎ落とし、見事に普遍的なものにまで磨き上げた小説群と言えるだろう。彼は自らの小説を何度も何度も書き直し、練り直して発表しているため、バージョン違いの短編がいくつか存在するようだ。

<追記>
ちなみに今年のアカデミー賞を獲った映画『バードマン 無知がもたらす予期せぬ奇跡』は、この同タイトルの小説の舞台化が劇場で演じられています。愛の救済を求めたカーヴァーは、マイケル・キートン演じるバードマンそのものであり、「愛について語るとき我々の語ること」のなかの自分勝手な愛を求めてピストル自殺するエドをバードマンは舞台で実際に実行し、奇跡的に鼻の怪我だけで一命を取りとめ、ネットでも話題になり娘にも認められる。

カーヴァーが死の直前に書いた詩「最後の断章」が「バードマン」の台詞の中でも活かされている。

 そして、君は得られたのか?

 この人生で求めたものを

 私は手に入れたよ

 君は何が欲しかった?

 愛された者と呼ばれること

 愛されたと感じること

 この地上に生きて

この詩はカーヴァーの妻テス・ギャラガーによってカーヴァーの墓に刻まれているそうです。
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